これら「感動ありがとう」などのお約束言葉は実に便利である。だから自分ではあまりにも便利さをのみを感じてしまうために、この言葉を聞くとせっかく感動している自分の気持ちが途端に萎えてしまうのである。どうもこの言葉が流行りだしてからだと思うが、選手のほうもコメントを求められると「国民の皆さんに感動や元気を与えられるような試合結果を出したいと思います」などと言ってしまうことがある。選手のmotivationはさまざまである。国民への感動付与を自分の競技生活の原動力とすることも悪いことではない。その選手がいい成績をあげられるなら原動力の種類はなんでもいいのである。ただ観客や視聴者が感動したり元気がでたりするのは、選手が観客に向かって「感動を与えること」を意図して競技した結果ではないと思う。いつだってその感動の主体は試合を観た観客側の能動的な結末であると思うので、観客の反応は様々であり「感動ありがとう」に右へ倣えでなくともいいはずである。私のようなひねくれた鈍感人の場合では、選手から「皆さんに感動を与えられるような~」などとのコメントがなされると、やはりこれも「お約束言葉」なのかと急激に白けてしまうのである。あぁ~素直に感動すりゃいいんだけどねー(泣)。<o:p></o:p>