また、他の事例紹介であるが、救命された傷病者の談話が乗っていた。「救護者の勇気に対して感謝の一言です」と言っていた。この「勇気」という言葉に昔から違和感を持っていた。傷病者の救護に参加することは「勇気」という感情が必要なのであろうか? これも大昔のメーリングリストで「勇気という大げさなものではない。そのような言葉を使うから気軽に救護に参加できなくなる」と書いたら炎上した。「あなたは救護者が救護に踏み出すときのためらいの気持ちが全然わかっていない。現状の認識不足だ」と言われた。論点が違うのである。「ためらい」はあるだろうが、救護の行為は結果の如何にかかわらず法的に擁護されていること、そして気楽に誰もが救護に参加できるように講習時にうまく指導方法を工夫することが大事だと言いたかったのである。こちら(指導側)から「勇気」などというかしこまった言葉をだしてしまったら、ますます受講者が応急救護にとっつきにくくなるような気がするのである。