ネットで、ある医師の本音を見つけた。自分の中で言い出せなかった心の底に燻る何かを代返してくれているようであった。
以下、投稿を引用した。
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岩崎 鋼 宮城県仙台市
(今回の7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件は)残酷。非道。異常。なんとでもいえる。だが通常人の感覚として、重症心身障害者を目にしたとき「なんでこの人たちが生きて(生かされて)いるのか」と感じる人は、そんなに少なくないのではないか。
私は国立仙台西多賀病院で3年間重心(重症心身障害者)病棟の主治医をやらされて、正直医者としての「生きがい」は感じられなかった。
脳がほとんど無かったり、半分しかなかったりする人がたくさんいて、人間としての意思疎通は全く取れない。動物や鳥となら成立する、感情的交流すら成り立たない、意味不明の雄叫びを上げるだけの生命。その状態で、やれ食べられないからと経鼻経管や胃瘻を入れられ、痰が詰まるからと気管切開され、挙句の果ては人工呼吸器につながれたまま、ただ寝たきりで何十年も過ごし、60を超え、そのころには親もとうに死んで身寄りもなく…。
あそこには宮城県立の障害者学校が併設されていて、そこの教諭たちが病棟に毎日来ていた。ある教諭は、人工呼吸器につながれたまま一切高次脳機能を示さない子供に、毎日毎日ウクレレを弾いていた。私はある日思い切ってその教諭に、どんな反応がありますかと聞いてみた。そしたら、視線が動くのだという。そういわれてしばらく観察してみたが、私にはその子の視線が音楽に反応しているとはとても思えなかった。
そういう人々が誤嚥性肺炎を起こしたといっては肺炎の治療をし、熱を出したといって尿路感染の治療をする。治療したって、だれが喜ぶわけでもない。本人は無論我関せずである。
不思議なことに、やはり年齢が若いせいか、植物状態に近くても、こういう人はそう簡単には死なないのである。後期高齢者なら簡単に死ぬような肺炎でも、治ってしまう。私がいた3年間で、病棟で死んだのは二人しかいなかった(50人担当して)。仙台西多賀病院は私の自宅からもほど近く、自分の住んでいるすぐ近くに、こんな異空間が存在するなんて、それまで全く知らなかった。
このまま一生この人たちを診ていくのか、そう思ったら耐えられなかった。自分の一生をそのために使いたくなかった。「世の中の光を障碍者に」と言った人がいたそうだが、私にはただただ、生きているのが気の毒としか思えなかった。それが、私が彼らに対して抱きうる、最大限の同情だった。その私と、この犯人の価値観は、果たしてどれほど離れているだろうか。
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以下、投稿を引用した。
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岩崎 鋼 宮城県仙台市
(今回の7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件は)残酷。非道。異常。なんとでもいえる。だが通常人の感覚として、重症心身障害者を目にしたとき「なんでこの人たちが生きて(生かされて)いるのか」と感じる人は、そんなに少なくないのではないか。
私は国立仙台西多賀病院で3年間重心(重症心身障害者)病棟の主治医をやらされて、正直医者としての「生きがい」は感じられなかった。
脳がほとんど無かったり、半分しかなかったりする人がたくさんいて、人間としての意思疎通は全く取れない。動物や鳥となら成立する、感情的交流すら成り立たない、意味不明の雄叫びを上げるだけの生命。その状態で、やれ食べられないからと経鼻経管や胃瘻を入れられ、痰が詰まるからと気管切開され、挙句の果ては人工呼吸器につながれたまま、ただ寝たきりで何十年も過ごし、60を超え、そのころには親もとうに死んで身寄りもなく…。
あそこには宮城県立の障害者学校が併設されていて、そこの教諭たちが病棟に毎日来ていた。ある教諭は、人工呼吸器につながれたまま一切高次脳機能を示さない子供に、毎日毎日ウクレレを弾いていた。私はある日思い切ってその教諭に、どんな反応がありますかと聞いてみた。そしたら、視線が動くのだという。そういわれてしばらく観察してみたが、私にはその子の視線が音楽に反応しているとはとても思えなかった。
そういう人々が誤嚥性肺炎を起こしたといっては肺炎の治療をし、熱を出したといって尿路感染の治療をする。治療したって、だれが喜ぶわけでもない。本人は無論我関せずである。
不思議なことに、やはり年齢が若いせいか、植物状態に近くても、こういう人はそう簡単には死なないのである。後期高齢者なら簡単に死ぬような肺炎でも、治ってしまう。私がいた3年間で、病棟で死んだのは二人しかいなかった(50人担当して)。仙台西多賀病院は私の自宅からもほど近く、自分の住んでいるすぐ近くに、こんな異空間が存在するなんて、それまで全く知らなかった。
このまま一生この人たちを診ていくのか、そう思ったら耐えられなかった。自分の一生をそのために使いたくなかった。「世の中の光を障碍者に」と言った人がいたそうだが、私にはただただ、生きているのが気の毒としか思えなかった。それが、私が彼らに対して抱きうる、最大限の同情だった。その私と、この犯人の価値観は、果たしてどれほど離れているだろうか。
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