「敗者のプライドを守るために手を貸さない」という、北の湖の精神は、格闘技のみならずスポーツ全体にもあてはまると思う。
自分が昔、運動会の時の話である。何らかの競争で足をつった。もちろん最下位にまで落ちたのであるが、そればかりでなくほとんど走れなくなり足を引き摺りながら皆から1周以上遅れてゴールした。その時に観客は、自分に向けて拍手と手拍子と、どこからもなく出た「吉田コール」が校庭全体に広がったのである。これは嬉しくない。みっともなくて恥ずかしかった。早くこの場面から逃げ出したかった。観客は良かれと思っての手拍子であろう。でもこれほどの辛いことはなかった。1位の者に対する賞賛の手拍子とは意味が違うのである。
オリンピックならなおさらである。皆勝つつもりで参加しているのである。それに向けて辛い練習もしてきたのである。4年間もの間、頭の中には自分が表彰台に上がっているイメージを固めて試合場に臨んでいるのである。
にもかかわらず、もし負けた場合、「あ~あ負けちゃったなー、納得」とすぐに気持ちが切り替わるわけではない。その時の相手から手を差し伸べられても「屈辱」にしかうつらない。格闘競技ならなおさらである。 ましてや会場全体が自分を敗者としてねぎらい拍手したりすることはこの上なく辛いのである。観客にはその気はなくとも「お前は敗者」という屈辱を感じるのである。
自分が昔、運動会の時の話である。何らかの競争で足をつった。もちろん最下位にまで落ちたのであるが、そればかりでなくほとんど走れなくなり足を引き摺りながら皆から1周以上遅れてゴールした。その時に観客は、自分に向けて拍手と手拍子と、どこからもなく出た「吉田コール」が校庭全体に広がったのである。これは嬉しくない。みっともなくて恥ずかしかった。早くこの場面から逃げ出したかった。観客は良かれと思っての手拍子であろう。でもこれほどの辛いことはなかった。1位の者に対する賞賛の手拍子とは意味が違うのである。
オリンピックならなおさらである。皆勝つつもりで参加しているのである。それに向けて辛い練習もしてきたのである。4年間もの間、頭の中には自分が表彰台に上がっているイメージを固めて試合場に臨んでいるのである。
にもかかわらず、もし負けた場合、「あ~あ負けちゃったなー、納得」とすぐに気持ちが切り替わるわけではない。その時の相手から手を差し伸べられても「屈辱」にしかうつらない。格闘競技ならなおさらである。 ましてや会場全体が自分を敗者としてねぎらい拍手したりすることはこの上なく辛いのである。観客にはその気はなくとも「お前は敗者」という屈辱を感じるのである。