それにしても今回の事故でひかり回線の信頼性は落ちた。最初回線を引いたときに工事に立ち会ったが、電柱の電線からなにやらLANケーブルのような太さのラインが引かれてきた。それが空中をとおり家の外壁のアダプターに接続されたのだ。まさか屋外の風雨にさらされる空中に這わされたこんな細いものがひかり回線のわけはないと思った。しかし業者が「はい、これで完了です」といったとたん、私の意識はぶっ飛んだのである。たかがLANケーブルくらいの太さのラインである。10kgくらいあるスーパークマネズミが綱渡りをしたら切れそうな弱々しさである。開設して4年半、時々「切れてはいまいか?」と眺めてみるが大丈夫であった。昨年の3月11日の震災でも切れなかった。しかし今回は突然・・なのである。
昔、インターネット回線でISDNというのがあった。ものすごい勢いで「全国デジタル化計画」というキャンペーンで拡大化していった。かなり多くの家庭でも回線工事をしてISDNにかえたところも多かったようだ。ところがその後、回線工事をしなくてもよく、そしてもっと通信速度の速いADSLが出現した。ISDNにしてしまった家庭ではADSLにするのにまた工事が必要とされた。うちでは幸い?ADSLが最初の導入だったのでスムースにインターネットにつなぐことができた。それにしても新しいインフラが入っては消えていった。プロバイダーもしかりである。今では「えっ、そんなプロバイダーあったの?」というくらいの名も知れない小プロバイダー会社があった。それにしてもISDNは今どうなったのだろう? すでに廃止されてしまったのだろうか?
つまり電車に乗ってどこかに行くときに、途中乗り換えてどこそこまでいき、また乗り換えて目的地まで行くというのに似ているのである。通しで切符を買えば1枚で済むのであるが、「直行は割高ですよ。当社のラインに乗り換えれば安くなります」と言葉巧みに直行でいけるものをわざわざ自社へ乗り換えさせるのである。そして切符の枚数はどんどん増えていくのでこれが利用者としてはのちのち回線障害のときに複雑になるのである。一つのラインに複数社が入りまたそれにプロバイダーもある。一つのサービスを受けるためには複数社の契約が必要になる。複雑怪奇である。きっとまだ過渡期であろう。今後は少なからずいろいろ淘汰されていくかもしれないし、ますます新規のインフラが導入されるかもしれない。便利な世の中にはなったが、一度ことがおこると複雑怪奇で面倒くさい。
それにしても使用するインフラをすべて光回線に統一したのが間違いの元であった。まだまだ光も安全安心ではない。そして今回のように「光こけたらすべてこける」のである。リスクの分散化をしておくべきだった。幸いクリニックの電話はアナログ回線のままにしてあったので助かった。つくづく今後の大災害時の回線障害を考慮したならインフラは多様化しておいたほうがよいだろう。業者の「すべて光回線でまかなえますよー」という口車に乗ったのが運のつきであった。このような通信業界は規制緩和でどんどん民間企業が参入してきている。複雑化の原因は、通信ラインが複数化しているため、どこからどこまでが〇〇会社、ここからここまでが△△会社といろいろ分かれていることにある。あー失敗した。金融商品だけではなく、通信インフラもリス分散化は常識だった。自分の貯金全部を一つの銀行に預けておいて、その銀行がつぶれたようなものだ。
至急、連絡をして電話で修理担当者から指示を受けながら「モデムのうらの〇〇のランプを確認し・・・、△△の電源を抜き差しし・・・」とモデムのチェックをした。とりあえず異常はなさそうである。それにしても光電話を使用していない場合の故障窓口と使用している場合の故障窓口が違うので不便である。うちは自宅では光電話を使用した回線であるが、クリニックでは電話は光回線を使用していない。これらが同時に使用不能になったので、故障の連絡を2回しなくてはならない。これがまたつながるまでに待たされること待たされること・・・。しかもまた最初から同じ話で、うちの回線の事情を延々と話さなくてはならない。たぶん規則なんだろう、本人確認から加入者番号から全部聞かれるのである。だんだん腹が立ってくるのである。
あ~もういやになっちゃったのである。2月1日の午後4時ごろ急にクリニックと自宅にひいている光回線が途切れたのである。うちのクリニックの電子カルテは光回線接続しているので電子カルテ会社とのやりとりが不能になった。また自宅の電話、TV、ネットもすべて光回線に統一しているので全部が使用不能になってしまったのである。クリニックと自宅では、情報管理を分離するため回線をそれぞれ別系統にした。そのため2回線の契約をしているが、これが同時に使えなくなったので大ごとである。回線を引くときに「一つの回線を自宅用と事業用に分配して使うと、もし回線に不具合が生じた場合、両方同時に使えなくなるので、回線は2系統にして別々の契約がよい」と業者に勧められた。確かにクリニックの回線が落ちたら困るので別々の回線契約にした。2倍の料金を払っているのに2回線とも同時に使えなくなるとはどういうことだっ!(怒)
今回のセミナー参加はいろいろ有意義で収穫があった。もちろんセミナーの内容もさることながら、新幹線の車掌の対応の仕方がずいぶん参考になった。きっとJRの社内で接客講習などが行われているのかもしれない。クリニックでの患者さんへの対応方法として勉強になった。しかしまあ勉強になったといっても難しいことはない。ただ黙ってウンウンと肯きながら相手の話を聞くのである。そして「そーなんですかー、わかりますよー、でもこの切符は換えられないんですよねー」と相手の言葉を受容しながらも一歩も譲らないのである。そして対応は平静を保ちながら時々笑顔を挟み込むのである。最後には相手が「あ これは暖簾に腕押しだ」と諦めるまで繰り返すのである。この「受容」「笑顔」「根気」がカギであろう。しかし混雑時のクリニックで延々とこれを繰り返したら、次の患者さんに「いつまで待たすんだ」と怒られそうである。
とにかくこのご婦人もある意味で達人である。会話の中に出てくる文章は「列車のドアを急に閉められた」と「切符の無償交換」の2つだけなのである。これ以外の文意は出てこないのである。車掌が何度説明してもこの2つのセンテンスを繰り返すのみである。私はこのご婦人がうちの患者さんではないことに安堵感を覚えた。外来でこれをやられたらかなわない。さて安眠を妨害されたわけであるが、そろそろこちらも焦れてきた。横にいれば自然に耳に入ってしまう。もういい加減にしてくれないかなぁと思っていた矢先に話は収束を迎えた。車掌も「切符の交換はできないんですよぉ~」をただ繰り返すだけであったのである。根競べで車掌が勝ったのである。しぶしぶそのご婦人は切符の購入をし直したようだ。
列車は出発時刻がくればドアが閉まり出発するものである。これは当たり前である。乗ったら「いきなり閉まった」のではなく、彼女が発車間際にホームに来て間違えた列車に飛び乗ってドアは「普通に閉まった」だけなのである。これはどう考えても自己責任の範疇である。ところがこのご婦人は「いきなりドアがしまったのが悪い、切符は無償で交換すべき」という理屈でダダをこねているのである。どう見ても子供が「お菓子かってよ」と母親にダダをこねているとしか見えない。このご婦人はご主人とおぼしき背格好の男性と一緒である。男性は横にいるだけで何も喋らない。普通なら「オイ、お前、もういいかげんにしないか」と突っ込みを入れてもよさそうであるのだが借りてきた猫か、あるいは石の地蔵さんのようである。さてこのやりとりは自分の真横の通路でやられている。車掌もかわいそうであるが、安眠を妨害された私にとってもいい迷惑だ。