先日、あるキャンプ場に車で来た家族が、増水した川で流され死亡したという事故が報道された。誠に痛ましい事故である。その報道番組では番組内で去年の水難事故の統計データが示された。それは川での死亡事故が41%で、海での死亡事故が38%(細かい数値はうろ覚えであるが)と示し「川の方が危険である」といっていた。確かに死亡事故数からいえば川での数の方が多いのかもしれない。しかしそれだから「川の方が危険」であるという根拠は統計学から言って正しいものではない。そこまで科学的な解析をしろとはいわないが、「数が多いと危険である」という仮説をまず証明しなければ言い切れるものではない。大学時代の論文作成でもずいぶんこのような場合での論旨の展開に苦労したものである。このような行政統計数値の字面だけを比較して結論付ける報道番組はちょっと胡散臭く感じる。<o:p></o:p>
この協会が行っている心肺蘇生の講習会にタレントであるオードリーの春日が参加したと機関誌に記事が載っていた。この映像はTVで放映されたそうであるが、その放映をみた人たちから協会に講習参加申し込みの電話がたくさんあったそうだ。何人かの人が申込時に「春日さんができたのだから私にもできると思って・・」と言ったらしい。まあ参加することのモチベーションは何でもよい。とにかく一人でも多くの人をまずは講習に参加させてしまうことが大事である。しかしこの電話の主の言葉は「あの春日ですらやることができた」という意味だったのであろうか? だとしたら春日が可哀想であり事実とは異なる認識である。彼は学生時代アメフトの関東代表だったらしいし、しかもお笑い番組でも脅威の身体能力を見せている。元オリンピック選手と種々の競技で遜色なく競り合っているのである。お笑いというイメージからその身体能力を低く見られていたのかと思うと、人のイメージや評価というものはいい加減なものなのかと呆れてしまう。まあとりあえず誤解であっても応急救護普及への入り口が広がっただけでよしとすべきなのだろう。
確かに20年前と比べて一般人の心肺蘇生を含めた応急救護は格段に増えてきており喜ばしいことである。しかしながら今でも応急救護に参加することは「勇気」なのかと痛感した。この最初の入り口であるモチベーションの部分が20年前と一向に変わっていないことを残念に思う。講習指導者は「勇気」ではなく、何事もなく当たり前のことを当たり前のようにしただけという感じになるよう指導していただけたらありがたいのであるが。それにしても、以前埼玉のある駅で乗降客が列車とホームの間の隙間に落ちて腰の部分がはまり込んでしまった事故があった。このままだとその傷病者は客車の重みで骨折してしまうかもしれない。そこに居合わせた乗客が一人二人と客車を支え始めたのである。そしてその数が数十人に膨れ上がり、客車はついに持ち上がり傷病者はたいしたケガもなく救出できたのである。朝の通勤時間のことであったが、わずか数分の電車の遅れのみであり(まあこの時間の遅れが短かかったこともすごいことであるが)、この救助に参加した人たちは「何事もなく」また通勤のため現場からいなくなっていったのである。この事例は個人が行った応急手当というわけではないが、おそらくはこのような「勇気」とは関係ない応急救護だってできるはずなのである。<o:p></o:p>
また、他の事例紹介であるが、救命された傷病者の談話が乗っていた。「救護者の勇気に対して感謝の一言です」と言っていた。この「勇気」という言葉に昔から違和感を持っていた。傷病者の救護に参加することは「勇気」という感情が必要なのであろうか? これも大昔のメーリングリストで「勇気という大げさなものではない。そのような言葉を使うから気軽に救護に参加できなくなる」と書いたら炎上した。「あなたは救護者が救護に踏み出すときのためらいの気持ちが全然わかっていない。現状の認識不足だ」と言われた。論点が違うのである。「ためらい」はあるだろうが、救護の行為は結果の如何にかかわらず法的に擁護されていること、そして気楽に誰もが救護に参加できるように講習時にうまく指導方法を工夫することが大事だと言いたかったのである。こちら(指導側)から「勇気」などというかしこまった言葉をだしてしまったら、ますます受講者が応急救護にとっつきにくくなるような気がするのである。
このようなやじ馬は百害あって一利なしである。応急手当てに参加せず自分を「安全な場所」に置いたうえでのヤジは迷惑千万である。この救護者の方は、それにもめげずAEDを装着し解析したそうである。するとそのやじ馬は「心臓が動いているかもしれないので電気ショックのシールは貼らないほうがいい」との野次をとばしたそうである。的確な野次なら助言になるが、このやじ馬は完全に間違えている。AEDは自動的に解析してくれて心拍動があるときには絶対に除細動はかからないようになっているのである。こんなやじ馬にもめげずにこの救護者は傷病者を救命し表彰されるに至ったのである。いまだに「餅は餅屋」とばかりに「救急車がくるまで触ったらいけない」と思っている人が多いのには驚いた。自分が普及啓発に努めていた15~20年前とかわらぬ誤った考えを持った人たちがいまだ多いのに驚いたのである。<o:p></o:p>