吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

都知事選 その2

2016年08月06日 06時09分12秒 | 日記
 今回の都知事選から小池さんの入庁まで小池劇場の台本通りに進んでいる様子である。
 都知事初登庁の時に「新都知事登庁歓迎セレモニー」をやるのが恒例らしいが、今回は「職員のみで出迎えます(だから議員は迎えに出なくていいですよという意味)」という連絡が都会議員に来たらしい。どうやら都連のドンからの密命のようだとのこと。
 それでも都議の何人かは出席したらしいがほとんどが欠席している。

 また小池さんは自民党都議の部屋に挨拶に行ったがドンは不在で、在室していた他の議員が対応したが「自分はたまたま居たから(やむなく)対応した」と・・。

 また報道陣が記念撮影をお願いしたところ、そのカメラマンに向かって「君の要望に応える必要はない」と拒否したのである。

 選挙に負けた自民の内心忸怩たる思いは勿論わかる。しかしこの対応があからさまにTV映像で放映されたものであるから、これをみた都民は、ますます小池黄門、自民都議団(内田氏)悪代官のイメージを固めてしまったであろう。
 あの対応はまったくの逆効果であった。何だか自民都連は自己崩壊していくようである。
「選挙に負けましたけどもこれから都民の政治を一緒に作りましょう」などと言って笑顔で握手でもしていれば好感度も上がるのに・・。
 まあでも自分が当事者なら握手できないだろうけど、でも政治家は「タヌキ」の素質もないと・・・。

都知事選 その1

2016年08月05日 06時12分33秒 | 日記
 今回の都知事選は面白かった。久々に楽しめたといったら語弊があるが全国から注目されたのは事実であろう。
 今回、小池さんの圧勝であったが、自分は増田さんのほうが自民の推薦をもらっているので小差で増田さんが勝つと序盤では思っていた。このまま何もしなければ増田さんだったろう。

 しかし都連のお触書で「自民推薦候補以外を応援したら一族郎党除名」という文書をだして流れが変わった。
 あの文書を見て都民は一斉に引いたであろう。小泉元首相は「僕が小池さんの応援演説に行ったら、(息子)進次郎は自民党を除名されるのかな?」と言っていた。

 また石原さんの「大年増の厚化粧女に・・・」発言も足を引っ張った。今の時代、セクハラ、パワハラ関連用語は禁句の時代である。石原さんのあの発言は時代錯誤である。小池さんを「しめた」と思わせたろう。
 
 世の中の無党派層はあの二つのエピソードで数十万人以上が小池さんに流れたはずである。前近代的な触れ状と、そしてセクハラ発言が決定的な流れを左右した。自民は黙っていたら増田さんが当選した可能性も高かったのに、自滅したとしか言いようがない。

相模原障害者施設殺傷事件 その4

2016年08月04日 06時31分32秒 | 日記
 まあ毎日、TVをみるとコメンテーターなどが今回の犯人の精神病理を解説している。確かにとんでもない許すことのできない事件である。犯人の身勝手な妄想で起こした大量殺人には言い訳や正当性などあるはずもない。

 ただ、今回ネットで自分の意見を述べた医師の深層心理は自分も頷けるものがある。
 今の世の中の正当性(というかスタンダード)から見れば、この医師の考えは「いだいてはいけない感情」なのかもしれない。でもかくいう自分でもこう思ってしまったことは何度でもある。

 人間は綺麗なものを見れば綺麗だと思うし、美しくないものを見れば美しくないと思う。不憫な状態をみれば不憫だと思うことも当然ある。「可哀想に」と彼らに対して憐憫の情を持ってはいけないのであろうか? そして何をしてもどんなに努力をしてもその不憫な状態を改善できなければその状態を「terminate」させてあげたら楽になるのではないかと思うことも止められない感情だと考えるのである。

 もちろん医師であってもそれを実行に移すわけではないが、医師が努力し治療をすることで本当にそれで本人も家族も幸福なのであろうか?と毎日自問自答するような現場は、やはりとても堪えられないのである。

 このような障害者に対する考え方は、医療人と、現場にほとんどタッチしたことのない人達では異なるのであろうが、何だか後者の人達が世の中のスタンダードを作り上げているような気がするのである。

 それにしても重い事件である。

相模原障害者施設殺傷事件 その3

2016年08月03日 06時09分09秒 | 日記
 医師であっても生殺与奪の権限はないのであるが、時にその権限をもてたら・・と思うことはよくあるのである。
 しかし我々は神ではない、ましてや仏でもない。ただの人間なのである。
 我々は時に世の中から神に近い存在(「神の手」などと小馬鹿にされたような表現)で祭り上げられたり、あるいはその逆に金の亡者として揶揄されたりもする。世の中からの評価はとにかく都合よく扱われるのである。

 でも医療の現場は現実的である。泥水を啜るような思いを何度もした。そして疑問に思ってしまうこともたくさんある。その一つには、世の中の障害者に対する思いとか接し方などである。
 つまり彼らに対しやってはいけないこと、彼らに対し思ってはいけないことなどが、現場で彼らと触れ合っていないであろうと思われる人たちによって捻り出され、そしてそれが世の中のスタンダードにされてしまっているのではないかと卑屈にも思ってしまうことである。

相模原障害者施設殺傷事件 その2

2016年08月02日 05時57分13秒 | 日記
 この最後のくだりで「自分と犯人の価値観はどれほど離れているのか」とあったが価値観はまるで違う。犯人の価値観はこれら障害者を抹殺することが世の中のためになると思っていることである。常人ならここまで考えない。
 
 犯人とこの医師の価値観は全く異なるが、しかし観点を変えると確かに自分もこの医師と共通する深層心理がある。
「ただただ生きているのが気の毒としか思えなかった」という思いである。障害者に対しての憐憫の情をもつのは何かタブーであるような世の中の流れである。でも自分の感情の中にも処理しきれないところの演算エラーとしてどうしてもそれが出てきてしまうのである。

 自分はこの医師のような本当の障害者施設に勤務したことはないが、外傷後や脳血管障害後の高次脳機能障害患者の管理をしたことはある。いわゆる植物状態の患者さんである。

 彼ほどではないが実際現場で見てきているつもりである。ここで自分の治療の手を抜けば、目の前の患者さん本人も家族も、ある意味「早く楽になれる」のではないかと何度も思った。
 でも自分は神ではない。よくマスメディアが、手術の上手い医師をつかまえて「神の手」などと称しているが馬鹿者といいたくなる。気安く「神」などという言葉を使ってほしくない。
 最近では対応の仕方が優秀だと「神対応」だとか、人気上位7位のAKBアイドルを「神セブン」と言ったりするようだ。 
 何だか最近では随分、神様が大安売りされているようである。

相模原障害者施設殺傷事件 その1

2016年08月01日 06時28分04秒 | 日記
 ネットで、ある医師の本音を見つけた。自分の中で言い出せなかった心の底に燻る何かを代返してくれているようであった。
 以下、投稿を引用した。

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岩崎 鋼 宮城県仙台市
(今回の7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件は)残酷。非道。異常。なんとでもいえる。だが通常人の感覚として、重症心身障害者を目にしたとき「なんでこの人たちが生きて(生かされて)いるのか」と感じる人は、そんなに少なくないのではないか。
私は国立仙台西多賀病院で3年間重心(重症心身障害者)病棟の主治医をやらされて、正直医者としての「生きがい」は感じられなかった。

 脳がほとんど無かったり、半分しかなかったりする人がたくさんいて、人間としての意思疎通は全く取れない。動物や鳥となら成立する、感情的交流すら成り立たない、意味不明の雄叫びを上げるだけの生命。その状態で、やれ食べられないからと経鼻経管や胃瘻を入れられ、痰が詰まるからと気管切開され、挙句の果ては人工呼吸器につながれたまま、ただ寝たきりで何十年も過ごし、60を超え、そのころには親もとうに死んで身寄りもなく…。

 あそこには宮城県立の障害者学校が併設されていて、そこの教諭たちが病棟に毎日来ていた。ある教諭は、人工呼吸器につながれたまま一切高次脳機能を示さない子供に、毎日毎日ウクレレを弾いていた。私はある日思い切ってその教諭に、どんな反応がありますかと聞いてみた。そしたら、視線が動くのだという。そういわれてしばらく観察してみたが、私にはその子の視線が音楽に反応しているとはとても思えなかった。

 そういう人々が誤嚥性肺炎を起こしたといっては肺炎の治療をし、熱を出したといって尿路感染の治療をする。治療したって、だれが喜ぶわけでもない。本人は無論我関せずである。
 不思議なことに、やはり年齢が若いせいか、植物状態に近くても、こういう人はそう簡単には死なないのである。後期高齢者なら簡単に死ぬような肺炎でも、治ってしまう。私がいた3年間で、病棟で死んだのは二人しかいなかった(50人担当して)。仙台西多賀病院は私の自宅からもほど近く、自分の住んでいるすぐ近くに、こんな異空間が存在するなんて、それまで全く知らなかった。

 このまま一生この人たちを診ていくのか、そう思ったら耐えられなかった。自分の一生をそのために使いたくなかった。「世の中の光を障碍者に」と言った人がいたそうだが、私にはただただ、生きているのが気の毒としか思えなかった。それが、私が彼らに対して抱きうる、最大限の同情だった。その私と、この犯人の価値観は、果たしてどれほど離れているだろうか。
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