きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父の話

2004-06-20 | 父の記録と母の思い出
うちの会社でお世話になっている設計会社の社長さんが、実は父の知り合いだと言うことを偶然知った。6年もこの会社で働き、何度も電話を取り次いで来たのに、今まで知らなかった事が不思議なくらいだ。

「娘さんでしたか。当時はお父さんにお世話になりまして」と先生は言っていた。

父は優秀な車のセールスマンであった(らしい)。
よく働き、稼ぎ、休日は家族のために何処かに出掛けた。セールスも成績を上げ異例の出世を遂げた(と父本人は言う)。

しかし、私から見ると、父の一番のすごい所は母への慈しみであろう。私の母は精神的病を抱え、何度か入院を繰り返した。実母との夜中の大喧嘩もよく見る光景だった。
中学1年の私は日記に「何でお父さんは、こんなお母さんと離婚しないのだろう」と書き、母に勝手に読まれて、事件となり3日くらい口を利いてもらえなかった事がある。
父は後で私を呼び出して、「愛しているからだよ」と言った。

婿養子であったにも関わらず、父はある時は祖母を諌め、母を励まし看病をし、しっかりと家庭を守り抜いた。
私と妹にとって、こんなに自慢な父は居なかった。

おそらく先生は、この時代の父を今でも思い描いているのだろう。
そう想像すると、恐縮のあまりに苦笑いをしてしまう。
今の父は、そんじょそこらの昔話を繰り返すボケ老人になってしまった。

妹家族が今日は夜出掛けるため、私とkekeさんが父と夕飯を共にする事になっている。
一昨日そう約束したけれど、もう今はたぶん忘れているだろう。これから一発電話を入れないとならない。その程度モウロクしているのだ。

先生から「お父さんによろしく」と名刺を渡されたが、これにも余り触れたくない。父はすぐに勘違いして、酒とかビールを相手に送り付けたがる癖があるからだ。

しかし、今晩はせっかくだから、先生の話をしてみよう。
ちゃんと覚えているのかなぁ?

私もあまりバカにしてはいけない、これは間違い無く30年後の自分の姿でもあるからだ。いや、自分の場合はもっと早まるような気さえする。
子供には迷惑掛けたくないものだ。