きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「その時は死にます」

2004-09-03 | その前の会社
上司BRさんと、年金の話にまたなってしまう。
上司BRさんはいつかは年金が破綻すると信じている人だった。その一方で、私は今は苦しくても老後はゆっくり好きなことをしたいと思っているから、年金だけは最低限整えて、安心させて欲しいと国に願っている。そんな二人の会話がうまくまとまる事は無かった。

上司BRさんがまた年金の悪口ばかり言っていた。
「sakeさん、これから消費税が10%になると、あなたは給料の10%を消費税で払うとして、幾ら払い続けると思う?それであとで年金を貰う時に何年貰えばそれがチャラになると思う?」

どうなんだろう?
いちいち電卓で計算するのが面倒だし、精神論的に楽は後からしたい性格なので、「でも、今は消費税が少々上がっても、将来は安心して年金で生活したいな~~^^」と言った。

BRさんは更に得意になって、
「sakeさんは専業主婦だった時代があって離婚したから、その期間は年金が換算されないんだよね。(だから安心できるほどなんてアンタは貰えないよという意味)だとすると、どうよ、年金なんて何の意味もないんだよ」

「それじゃ、生活保護の申請もしないといけませんね。^^;ハハ」と答えると、BRさんは「sakeさん、生活保護は何で賄われているか知ってる?税金だよ、税金。その税金が今足りなくて大騒ぎになっているんだからね。さぁ、どうするよ」と言った。

答えに困ったので、「じゃあ、その時は死にます」と思わず言ってしまった。
それ以外の答えを思い浮かべる事ができなかった。
カマキリもトカゲも餌が取れなくなったら、死ぬ。生きとし生けるものの運命であろう。

気が付くと、私は困った問題にぶつかった時、将来に向って行くのが気が遠くなるほど遠くて恐ろしくなる時、心でつぶやいているようだ。
「どうしょうも無くなったら、死ねばいい、死ぬしかないのだから」
そう、つぶやいて、次にこうつぶやく。
「今はまだ死ぬ時期じゃ無い」
この二つの言葉を繰り返して、今日この日まで生きてきたと言えよう。

死ぬ死ぬと心ン中でつぶやいている割には、本当に真剣に「死ぬ」方法を考えた事が無い辺りが自分のお気楽な所だ。さて今日で死のうとしても、死ぬ段取りをするまでに、私の場合はかなりの時間が掛るものと思われる。どういう方法が一番確実で苦しまないかをまず調べなければならないし、できれば誰にも迷惑は掛けたくないもの(発見者の苦痛、死体の処理など)だ。(たぶん、死ぬ方法を調べる間にまた生きてみたくなるであろうと言う意味も込めて、あえて死ぬ方法は今から調べる事にはしない)

あの離婚騒動の時こそ、「もう自分はダメだ、生きてなんかいけない、今ここで死にたい」とはっきり自覚したにも関らず、子供と一緒に死ぬか、子供に自分の死体を見せるか、で悩んだ記憶は無い。この究極の選択が無かった事は、私が心のどこかで「生きる望み」を繋いでいた事が分かる。真剣に本気で死のうとは思っていなかったのだ。

死ぬ死ぬと心でつぶやいている割に、自分と死はまだうんと距離がある。
死ぬことに対して、片鱗すら見えていない。
母は死んだ。父は生きている。
死んでも尚且つ、心で生き続ける方法がある事を知った。
生きている間にできる事がある。
生きていなければできない事がある。

「じゃあ、その時は死にます」と言う私は、コンビ二のゴミ箱をひっくり返して、他人の食べ残しを漁っても、生きようとするかもしれない。死ぬほど腹をすかせた事が一度も無い。その時何を考えるのだろう。
分からない、全く想像つかない。
その時になってみないと、分からない。
私にとって「その時は死にます」と言う言葉はお守りのような言葉なのだろう。

BRさんは「ハッハッハ!sakeさんって時々面白い事言うなぁ~」と大笑いしていた。
どうやら、これはギャグだと思われたようである。