きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

幸せの分量はみんな等しい

2004-09-23 | 母子家庭だから思うこと
高市早苗さんと言う元議員の方が結婚するそうだ。
今まで政治の仕事をこなして来たキャリアウーマンの女性。朝のワイドショーでとても初々しい(たまに見かける驕ったタレントの世界制服的ノロケ会見と相反するような)インタビューを聞いて、「こういう結婚もいいなぁ~」と心から思った。
何でも、選挙で落選したのをきっかけに縁ができたとの話。その辺りが私を惹き付けるのかもしれない。

生きている間には、どんなに努力しても実らなかった事や、どうしても避けられないアクシデントがつきまとうものだ。
でも、そんな時だからこそ、思いもよらない縁やきっかけが降って沸いてくる。他人や身内を見ていると、そんな話が幾つも出てくる。だから、どんなアクシデントが起こっても、私達は希望を持って前に進めるんだ。次に巡り会う違う形を信じて。

人の事をこれ以上あれこれ思い巡らすのも失礼な事だけど、例え、高市さんが、そのまま議員に当選して仕事を選んで、独身を貫く生き方をしていたとしても、それはそれで幸せな生き方だったと思う。「こうなったから幸せ」とか「ああだったら幸せなのに」とか言う考え方は好きじゃない。選挙に当選落選と言う左か右かの選択のどちらを取っても、形が違うだけで幸せの分量は同じだと思いたい。

離婚してしばらく、「離婚しなかったらどうだったんだろう」と言う妄想に駆られた。そっちの選択を進んだ自分の方が、今のポジションよりも幸せだったんじゃないか?と想像をしがちであった。
けれども蓋を開けてみると、彼はここ何年も定職についていなかった。一緒に居たら、いい事もあっただろうが、やはり苦難は避けられなかった事になる。彼の立場を考えると、彼は心から愛する人とその時は再婚できたのに、仕事や財産を自ら失ってしまった。神様はものすごい幸運も長持ちさせない代わりに、ものすごい不幸な状態のまま置き去りにもしない。

「もしも、子供を手放していたらどうなっただろう」とも考える。子供を手放す事は大打撃ではあるが、子供が相手方で幸せに暮らしているのであれば(これは絶対的な条件だけど)、また私は仕事も再婚にも可能性は広がったのだろう。またそこには違う幸せがあったと思う。

だから、やっぱり今の自分の幸せを大切にしたい。
今、子供と暮らせること。今、必要なだけのお金は持っていること。今、信頼できる姉妹が居ること。満足に眠れる時間があること。今、健康であること。
これが私の幸せの分量ではないだろうか。

いつか子供と暮らせなくなる日が来るかもしれない。
でも、その時は時間ができるし、また新しい何かが見つかるだろう。何かを失えば必ず次に何かと出会う、そんな事をずっと繰り返して来ている。

そう考えると、もう何も後悔しない。ゆっくりゆっくり、今の景色を見ながら、この旅をそのまま続けていけばいい。そんな気分になってくるのだ。
もう何も悩むことなんてない。どっちに転んでも、きっとそこに幸せはあるんだから。