きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

子供を守れるのは親だけ その2

2004-09-15 | 父の記録と母の思い出
先日、元姑に電話を掛けようとして、久しぶりに6年前の日記を探す事になった。離婚する直前まで書かれていたと思っていたら、離婚してからも半年間その日記は続いていたようだ。いちいち読む時間も読む勇気も無く、パラパラとだけめくった。

離婚後の自分の文章である。「母と妹が会社の飲み会に行くなと言う。職場への理解が全く無い。」と怒って書かれていた。
唖然とする。
私は今まで「子供の事が気になって会社の飲み会は年に2回しか行かないんですよ」と気取っているが、離婚当初はあわよくば実家に子供を預けて、会社の飲み会で楽しもうと企んでいたのだ。それで実家とケンカしていたらしい。(しかも、その事実は今では都合宜しくすっかり忘却の彼方にあった)

それから、「夏休み実家で子供を看てもらえないか」と頼んだ事もあった。(こちらはちゃんと覚えている)それも母と妹に阻止された。「kekeを預かったらこっちも気を遣い身動き取れない、学童に入れなさい」と言われた。今から思えば当り前の話だが、当時はあわよくば、実家で子供を看てもらい、たまにはkekeさんの友達にお茶菓子の一つでも出してくれないかな~とまで思っていたのである。一番近い所の学童は月に1万円も掛ったので、それもケチろうと思ったのだ。

「ちっ!なんて冷たい人達だ。こっちはずっと仕事をしているのに。一人で子育てしてるのに。孫くらい預かってくれてもいいじゃないか。うちじゃ誰も判ってくれないんだから!!」と天に唾を吐きたくなった。
でも、今にして思うと、アレがあったから、その後自分で体を張って子供を守る気になれたのだろう。
それ位、離婚直後の家庭は親も子も不安定なのである。

母と妹は私の性格を知り尽くしていたから、預からなかったのだ。
あの時、実家がホイホイ同情して子供を受けたら、私はますます「私は大変な母子家庭」をお題目に、たがが外れて、どんどん子供を実家に預けていたかもしれない。それで「実家で看ていてくれるから大丈夫ですよ」と仕事でも夜遊びでも何でもホイホイやっていたかもしれない。

うっかりすると、親は子供を忘れてしまう。
ぬるま湯につかれば、もう一度つかりたくなるのが人間だ。
誰かに看てもらえれば、またついお願いしてしまうのが人間だ。

もう今では、事件の被害に遭われたお父さんを責めるマスコミのコメントは無い。
でも、これは別世界の話ではない気がする。
同じような心の隙間を私達も持っているかもしれない。

母は亡くなる1年前くらいになって、やっと安心したようだった。離婚して3年が経っていた。
「もう大丈夫だね。このまま行けば、きっとあの子はいい子になるよ。間違い無いよ。」と言った。
それから間もなく、母は亡くなった。誰一人予想していない出来事だった。