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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

昭和52年と言う時代

2004-12-28 | 歌謡曲・カラオケ
先週の金曜の『金スマ』をたまたま観ると、ピンクレディーが出てきたので、嬉しかった。
それもヒットメドレーだよ、何曲も。『透明人間』や『カルメン77』なんて、過去のVTRでも今じゃなかなか出て来ないし、イントロが始まるだけで、そうそうそうそう!!これこれこれ!!って一人盛り上がりでしたよ。
そうかと思うと、昨日はフジTV系列のモノマネ番組で太田裕美が登場。私は大ファンでお年玉や小遣いを太田裕美のLPにほとんどつぎ込んだくらい。

私の中で昭和52年ブームが沸いて来た。
遅ればせながら、この頃からやっと歌謡曲を聴き始めたんですよ。(それまではもっぱらアニソンで友達にバカにされたので歌謡曲を聴くようになった)
だから、いろんな思い出があるんですよね。^^

ピンクレディが好きになったきっかけは、中1の時に隣の男の子がピンクレディのファンで、私が「え?ウォンテッド?何それ」って言ったら、「え!!まだ聞いたことも無い奴いるの?信じられない・・レコード貸してやるよ」と言って、家でフンフンと聴いたのがきっかけ。
太田裕美は、この後の席替えで一緒に班になった男の子3人がみんな太田裕美のファンで、学校で「九月の雨」をさんざ騒いでいて、「フムフムどんな歌だろう」って聴いたのが、「恋人達の100の偽り」と言う歌(新曲が出てた)。これでたちまち太田裕美のファンになってしまったのでした。

あと好きだったのは、キャンディーズ。(この後間もなく解散してしまうけど)「見ごろ食べごろ笑いごろ」観まくりましたよ。その番組でランちゃんが主演?のミニドラマがあって、(キャンディーズがバレー部と言う設定の学園ドラマで、ランちゃんがたいてい途中で不治の病で死んでしまう)その主題歌を妹とハモりたくて練習してました。

アリスの「冬の稲妻」とか、八神純子の「思い出は美しすぎて」、渡辺真知子の「迷い道」・・思い出すとキリがない。
くんくん、あの頃の匂いがする。

今なんであの頃がこんなに懐かしいのだろう?
今、kekeさんが丁度同じくらいの年頃だからなのかな?

なんだか、あの子を見ているとあの頃に戻れそうな気がするよ。
・・・戻れたら、いいのになぁ。
学校もたいして好きじゃなかったんだ。いつももやもや悩んでいたような気がするけれど、どうしてあんな頃を特別思い出すのだろう?

初めて買ったレコードは父と一緒にキャンディーズのベストアルバムだったっけ。父がこっそりその後でピンクレディのテープを作ってくれたんだ。ドライブでいきなり作ったピンクレディのテープかけて、私と妹は「わぁ~~!!」って驚いたの。(思い出すと父も優しかったんだ、仕事も忙しかったのに、そんなことまでしてたんだもの)

今の私、kekeさんのほしいゲームを知らない。好きなCDも知らない。
あの頃の父と母。今のkekeさんから見える私の姿。
気が付けば、あの頃うざかった母の口ぐせ、「勉強しなさい」「やればできるんだから」って同じ事言って、子供に嫌われてる。
「sakeのような親には絶対にならないから」私もいつもそう思ってたんだよ。

あの頃、父も母もすごく元気だったんだな。
そう思うと、せつない。

父への心配

2004-12-28 | 父の記録と母の思い出
クリスマスにはいろいろ楽しい出来事もあったのだけど、何よりも私の中で大きかったのは、父がとうとう『老人性痴呆症』の診断を受けてしまった事。

この数ヶ月(半年くらい?)、たしかに「おかしいな」と言うような事は何度もあったのだ。友達との待ち合わせの日時がズレている事は何度もあった。でも、「何か行き違いがあったのだろう」「まったく、最近のおじいちゃんったら」で終わってしまったのだ。

しかし、あの旅行の待ち合わせ場所の新宿が小田原にズレていた件も、ゆくゆく問い詰めて事実を照らし合わせてみると、父が待ち合わせ場所を勝手に一人合点で途中で変えてしまったことが判る。
病名を言われて、初めて「そうだったのか」となった訳である。病名を知らなかったら、あの小田原の件も「まったくしょうがないんだから」で終わっていただろう。

今までは自覚がなかったから、『父は最近物忘れがひどくボケてしまったのだ』なんてフザケタ書き方をしていた。事実を知ったら、もう、そんな書き方はできない。
私以上にショックを受けたのは妹。これからは父に毎日薬を飲ませて、進行を遅らせるしか方法はないらしい。

悪くなる事はあっても、今以上良くなる事は無い。
この事実を受け止める事は辛い。

そんな父が旅行から帰ってきて、急に明日病院に行きたいと病院に予約(?)してしまい、急遽私が付き添うことに。(一昨日も書いたけど)
しかし、次の日になるとすっかり忘れているようで、一応病院にも行ってみたけれど、先生の前では「寝起きに妄想が始まる」などと言って(本当にそうと言うよりも辻褄合わせのようにも思う)具合が悪い時だけ服用するお薬を処方してもらう。
家に戻ってからは、妹にメールで簡単に状況を説明して、「やれやれ」と思ったのだが、妹の話では見てない間に全く違う昔の薬を飲もうとしたと言う話。これでまた一悶着になったのだが、小田原の時と言い、この薬の件と言い、こう言う時に周りがどんなに「それは違うんだよ」と言ってもガン!と譲らない。

これも全て病気から来ていたのだ。そう言われて初めて父の行動をよくよく観察するようになって、いろんな事が見えてきたと言う感じである。
父も心配だけれど、妹の気持も心配。
子供も手が離れてきた所で、私もちょくちょく父を散歩に連れ出そうとは思うけれど・・・。

今日から会社も片付けモードに入ります。
実は処理するはずの伝票もたまっているし、新年会の領収書も時間を見て作っておかないと。あとは納会(本当は取りやめだったのに、また社長のツルの一言でやることになる)のお金も用意して・・頭がグルグル回りそう。