きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

女性の結婚観が変わった?

2005-05-11 | 母子家庭だから思うこと

ある小さなコラムを読んでいたら、こんなことが書いてあった。

「去年は非婚で子供が無い30代女性が負け犬と言われたが、それから一年経たないうちに「一人でも幸福な人生を送れる」と思う女性が70%以上になった。今は負け犬の方が幸福だと、結婚観がこの1年で大きく変わったようだ。」

果たして女性の結婚観がこの1年で大きく変わったのであろうか。私はそうは思わない。
あの『負け犬』と言う言葉も、一説に作者の方は「私達は30代で未婚で子無しであるが、思いっきり開き直って堂々と生きちゃいましょう!」と言う面持ちで書いたそうだ。しかし何故か負け犬の
負けと言う単語だけが、一人歩きしてしまいバラエティ番組その他で、未婚女性を嘲笑する迷語に生まれ変わってしまったのである。私が憤慨したのは、もちろんこの迷語になった後である。

私の母は「女は結婚して子供を産み旦那さんに仕えるのが一番の幸せ」と言っていたが、父が私ら娘に「お前達は公衆便所と呼ばれるような女になってはいけないな」と口をすべらせた時に、『女だけ公衆便所とは何事か、それなら男のソレは何なんだ』と怒り狂うような人でもあった。

今まで多くの女達が心に思っても、それ以上口を開けて言えない言葉が実はたくさんあったのだ。最近の女性のあり方が変わって来た一つの理由は、それを女性が公に言うようになったのではあるまいか。

私は元夫に「不倫相手と結婚するからお前と離婚」と言われた女である。あまりにも当時の彼の言葉の暴力が激しく、私は「こうなったのは私が悪いから=何度結婚しても失格=世の中で一番使えない女」だと自覚した。いっその事死んでしまいたかったが、子供が居た事と両親や妹が救いの手を差し伸べてくれたお陰で、どうにか復活する事ができた。

その後で偶然ネットで同じように夫の不倫に遭遇したたくさんの友達ができた。友達達は誰もが全く同じ暴言を受け、みんなが傷ついていた。「あなたも?」「私も全く同じよ」「みんな同じなんだ」
不倫をして離婚に至る旦那のほとんどは同じような言葉で同じように相手を責め、そして離婚を導いているようだ。全部が全部そうだとは言わないが、かなり高い確率で同じ言動を経験しているのは偶然だけでは理由がつかない。(もっとも不倫している者が100%悪とも言わない、精神状態がイッパイイッパイになってしまって、そう言う相手の非ばかりを責める言動になってしまうのだろうと思う)

ありがちな不倫ドラマは、あたかも相手が悪いから不倫せざるを得なかったような構成になっている。しかし実際は、自分試しの火遊びからでも、都合が悪くなるにつれて「自分が家庭を壊した」とは認められず相手にその非を求めて行くのである。やがては相手が何をしても軽蔑しかできなくなる。そしてその相手は心を壊して行くのだ。そのような裏側は公には語られる事はない。私も偶然ネットで同じ体験をした友達に出会わなければ、「私が人間としてふさわしくないから、こう言う仕打ちに遭ったのだろう」とずっとあの事を封印して今でも苦しんでいたと思う。

そう言う誰もが口に出せなかった言葉が、ポツリポツリ一人歩きできるようなご時世になったような気がする。

私の今のポジションで聞きたくない言葉の一つに「そろそろ再婚でもしたら」と言う類の言葉があるが、この言葉を口に出すのは既婚男性が多いような気がする。どうしても「女は結婚して子供を産むのが幸せ」と言う価値観を取り払う事ができないのだ。女性でも居るには居るが、女性のそれはただのお節介、男性のそれは本気で「人間が一人で幸せのはずがない!」と思っているようで、「いいえ、私はこれで幸せなんです」なんて言おうものなら、次の言葉でこれでもかと逆噴射される事、数多し。

私のような者が一人で幸せそうに子供を育てている事が、『父親の存在』を否定する事になってしまう事になるから、許せないのかもしれない。

でも、その点はご無用。私は今どんどん中性化していて女を捨てている真っ最中。家では私自身が母親でもあり父親でもあるのだ。家で怒った時は「ふざけんなよ、おめー」って感じですから。父親は居ない、だったら私が父親になればいいじゃないか、どうしてよそから誰かを頼みにしなければならないのか。
いや、「女を捨てて幸せ」と言うのも彼らには許せないかもしれない。でも、それはその家の個性だもの、しょうがない。できればそっとしておいて欲しい。キミには関係ないだろうと言いたい。

それは根本的な求め方の違いだろう。
男の人は、常に何かを手に入れて行くのだ。例えば課長になった、部長になった、結婚した、子供が生まれた、と。基本は社会に出て働いて、自分の価値を高めて生きていく。
女は、仕事に励めば子供を預けねばならない、専業主婦になれば社会人の生活を諦めねばならない、子育てと仕事を両立すれば休みたくてもに休めない、子供を産まなければ自由だけどハンパ者とみなされる、何かを得れば何かを諦めねばならない。そこで「今のポジションで私は幸せ」と言う概念が生まれるのだ。
(もっともバブルがはじけて、男の人でも「今のポジションで満足」と言う概念がだんだん降りてきたようにも思う)

女の人の結婚観は、それほど変わっていないと思う。単純に「結婚するのとしないのと、どっちが幸せか」と尋ねたら多くの女性が「そりゃ結婚する方でしょ」と言うと思う。ただ「結婚しない女性は幸せか」と尋ねられたら、「結婚しなくても幸せでいられるでしょう」とも言うのだ。
幸せは、○○を得たからではなく、余計なストレスが掛からない事だから。

「○○だから幸せ」「○○じゃない女は幸せじゃない」と言う発想に私は反発を覚える。そんな○○なんてものはどこにもない。それを堂々と(女同士で)言えるようになり、理解ある男性が「そうかもしれないよね」と言ってくれるご時世になった事が、この数年の大きな変化ではないだろうか。

また、今の子供達の世代になると変わって行くのだろう。どう変わっていくのか。
女が強くなったり一人で開き直るよりも、男の子が理解するようになるのではないか。そうなれば女性も変わるだろう。もう強がる必要はどこにも無いのだから。