きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

母子家庭だから何?

2005-05-27 | 母子家庭だから思うこと
会社で子供の話になって、(昨日書いたブログを思い出して)「ほら、うちのkekeも最初の頃は野球の練習を嫌がってね~、でも野球やってて良かったですよ」と言う話をしたら、「こう言っちゃなんだけど、やっぱり男親が居ないと外遊びも少ないし、インドアになるだろ、だから最初、野球練習はキツくてイヤだったんじゃないの。」と言われてしまう。

何気ないこう言う一言が私をへこませる。
悪意は無いのは分かるけど。

『母子家庭』と言う語でブログを検索すると、ほんとの母子家庭よりも「旦那が留守がちで家の手伝いもしないから、うちは母子家庭みたい」と言う奥さんのブログがヒットしてしまうようだ。『母子家庭』と言う言葉をこう言う風な使い方をする人は、(たぶん悪気が無いから)普段から「うちって母子家庭みたいなのよね」と当たり前に周りに言っているのだろう。それを本当に母子家庭のお母さんが隣で聞いたらどんな風に思うかなんて、考えた事も無いのだろう。

悪気がなく、当たり前に「母子家庭だから」「母子家庭みたい」みたいな言葉の使い方ができる人は、母子家庭は暗いとか淋しいとか、つまらないとか子供が可哀相だとかそう言うマイナスの概念を無意識に持っているような気がしてならない。たぶん彼らは決して母子家庭を悪く言うつもりはないのだろう。でも、母子家庭はこんなもんだと無意識で見下げているから、ちょっとした言動でそれを相手に感じ取られてしまうのだ。

母子家庭で暮らしていると、よくそう言うことはある。
同じ「がんばって」と言う言葉でも、本当に「子供を抱えてがんばってるんだね」と認めてくれる人と、「旦那が居なくて可哀相だね」と言う憐れみの人とでは、出る言葉やニュアンスが違っていたりする。
私も昔はそんな事に気づかなかったから、人と話をする時も話を合わせているだけで、不運なニュースも残念な出来事も「そりゃ可哀相だったね」と言う憐れみしか持てなかったのだ。憐れみと言うのは上から下へ投げるもの。誰かを憐れる人は自分の色眼鏡でしか相手を計れない。更にその事にすら気がつかない。

母子家庭だけじゃなくて、受験に失敗したとか、事業に失敗したとか、大失恋してしまったとか、そんな自分を引っさげて周りと折り合っていかねばならない時になって、初めて気がついたりするのかもしれないね。そう言う時に誰に何を言われたのかって事、ずっと覚えていたりするから。

逆境が人を変えるって事もあるんだよ、ね。