見積を打っていると、nanuさんも秀クンも帰らないようなので、帰り支度を始めて「ポットのお湯は切っていいですか?」と尋ねると、「もう帰るから。」とnanuさんは言い、秀クンにも「帰らないのか」と言う。
秀クンは「帰っても誰もいないから。」と言うので、奥さんは実家に帰っているようである。「夕飯はスーパーで購入だよ。」とボヤく。
nanuさんは「オレもだ」と言い、「さっきラインで『今日は飲むからツマミを買ってきて』ときた。」と言う。
「酒を飲む日は粉ミルクだ。」
「カミさんもそうでしたよ。ほんとはしばらく残留するんだろうけど。」
「これからスーパーだ。」「これからスーパー」と二人で言いながら玄関を出るので、「私もスーパー。」と金魚のフンのように後に続いた。
秀クンは鍵をさして、回した。
「もう社長は帰ったんだな」とnanuさんが言うので、「家族の方とでしょうかね?今から出るからってその前に電話してましたよ。」と私が言うと、秀クンはアハハハハと笑いだし、それ見ちゃたんだよ~偶然マチナカで、と笑い続けて、やばいから見ないふりしたけどね、と言う。
「何をですか?」
「nanuさんは分かるよ。」と言い、「雰囲気で察してよ」と言う。
そして和やかに(?)3台の車に分かれて「お疲れ~」と言って帰った。
私は離婚の憂き目にあっているので、心のどこかで「人間として女として失格ではないか」と言う負い目があったが、こうして男どもの話を聞いていると、どこの奥さんも似たり寄ったりのようだ。
私はもっと神経質だったので、母乳の時代は酒を1滴も飲まなかったほどだ。(その代わり断乳も早かったが)
家事や子育ては「これじゃいけない」と思うか「これでいい」と思えるかの違い、周りの受け止め側の要素もあるかもしれない。自分に厳しくしてしまうと、どうしても相手にも厳しくなってしまう。自分ばかり頑張っていると思うと、相手をダメだししてしまう。
心理学で「自分もOK、相手もOK」が一番理想というのは、そこから来てるのだろう。
「この自分でいい」と思えれば自然に人にも寛容になれるのだ。
環境や条件が整って、普段からそう思える人はそれでいい。
そうでない人は、自分を好きになってみよう。
それができない、何故だかできない、と思う時は、どんな時の自分がいいと思えないのか、よくよく思い出して、そのような状況(関係)から少しづつ距離をおいてみるのもいい。
人の思惑に振り回されて自分を見失うより、よっぽどいい。
「この自分でいい」と思えると、人にもダメだししなくて済むので、周りの人が優しく映るのである。
そうやって考えると、心理学と巷にある「幸せ本」とは密接に結びついていることが分かる。
約束通り近所の車で無いと行けないスーパーに寄った。
「ここに来れるのも車がある今だからだなぁ」と思い、今だけ記念でかき揚げとツマミを買って帰った。
最近、小さい惣菜を2つぐらい買って、家でも1品作るのが定番である。
そうすると、お金を掛けずにちょっとゴウジャスな夕飯を用意することができる。
家に帰ってからマーボー豆腐とそうめんを軽くゆでた。
「こんな夕飯でいいよね。」とkekeに言った。
「いいんじゃない」とkekeも言う。
秀クンは「帰っても誰もいないから。」と言うので、奥さんは実家に帰っているようである。「夕飯はスーパーで購入だよ。」とボヤく。
nanuさんは「オレもだ」と言い、「さっきラインで『今日は飲むからツマミを買ってきて』ときた。」と言う。
「酒を飲む日は粉ミルクだ。」
「カミさんもそうでしたよ。ほんとはしばらく残留するんだろうけど。」
「これからスーパーだ。」「これからスーパー」と二人で言いながら玄関を出るので、「私もスーパー。」と金魚のフンのように後に続いた。
秀クンは鍵をさして、回した。
「もう社長は帰ったんだな」とnanuさんが言うので、「家族の方とでしょうかね?今から出るからってその前に電話してましたよ。」と私が言うと、秀クンはアハハハハと笑いだし、それ見ちゃたんだよ~偶然マチナカで、と笑い続けて、やばいから見ないふりしたけどね、と言う。
「何をですか?」
「nanuさんは分かるよ。」と言い、「雰囲気で察してよ」と言う。
そして和やかに(?)3台の車に分かれて「お疲れ~」と言って帰った。
私は離婚の憂き目にあっているので、心のどこかで「人間として女として失格ではないか」と言う負い目があったが、こうして男どもの話を聞いていると、どこの奥さんも似たり寄ったりのようだ。
私はもっと神経質だったので、母乳の時代は酒を1滴も飲まなかったほどだ。(その代わり断乳も早かったが)
家事や子育ては「これじゃいけない」と思うか「これでいい」と思えるかの違い、周りの受け止め側の要素もあるかもしれない。自分に厳しくしてしまうと、どうしても相手にも厳しくなってしまう。自分ばかり頑張っていると思うと、相手をダメだししてしまう。
心理学で「自分もOK、相手もOK」が一番理想というのは、そこから来てるのだろう。
「この自分でいい」と思えれば自然に人にも寛容になれるのだ。
環境や条件が整って、普段からそう思える人はそれでいい。
そうでない人は、自分を好きになってみよう。
それができない、何故だかできない、と思う時は、どんな時の自分がいいと思えないのか、よくよく思い出して、そのような状況(関係)から少しづつ距離をおいてみるのもいい。
人の思惑に振り回されて自分を見失うより、よっぽどいい。
「この自分でいい」と思えると、人にもダメだししなくて済むので、周りの人が優しく映るのである。
そうやって考えると、心理学と巷にある「幸せ本」とは密接に結びついていることが分かる。
約束通り近所の車で無いと行けないスーパーに寄った。
「ここに来れるのも車がある今だからだなぁ」と思い、今だけ記念でかき揚げとツマミを買って帰った。
最近、小さい惣菜を2つぐらい買って、家でも1品作るのが定番である。
そうすると、お金を掛けずにちょっとゴウジャスな夕飯を用意することができる。
家に帰ってからマーボー豆腐とそうめんを軽くゆでた。
「こんな夕飯でいいよね。」とkekeに言った。
「いいんじゃない」とkekeも言う。