きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

他人といっしょだよ

2014-06-27 | 息子keke
昨日、不幸を感じる根源は「人と比べること」と「将来への不安」だと気がついた。

そして自分は子供に対していつもそのような言動を取ってきたことにも気がついた。
よその友達の話をしたり、「~~しないと、こうなっちゃうよ」もさんざ言ってきた。

そういう言葉の一つ一つが、今まで子供を不幸にしてきたのではないだろうか。
自分だって「誰それは30万給料をもらっているよ」「誰それは再婚してるのにお前はどうした」そんなことを何回も言われたら、しまいにはイヤミにも聞こえるだろうし、「~~しないとこうなっちゃうよ」については、「じゃあやって、そうならなかったらどうするの?え!アンタに責任取れるのかよ!」とでも言いたくなる。

自分が言われたら、たしかにものすごく憤りを感じる。
本人は懸命に生きてきた50年である。それを真っ向から否定されたような気持になる。

それと同じなのではないだろうか。
自分の子供ということと責任がごっちゃになって、ちゃんと意思を持って生きてきたひとりの人間であることを忘れていた。


自分の人生の責任をとれるのは、自分ひとりしかいないのである。
あと強いてあげるとしたら配偶者か。

親はどちみち先に死んでしまう。最後の責任は引き受けられないのだ。
親の言った通りにして失敗(餓死)しても責任は取れない。
だったら、選ぶ自由も本人にあるのではないだろうか。
同じ結果になっても、本人が選んだ人生なら悔いもないだろう。


五木寛之さんの本によると、今この国で年間に自殺する人の数は3万人を超えるという。
ベトナム戦争で死んだアメリカ軍の人数が5万人。
日本は2年間で自殺で死んだ人の数がそれを上回るのである。
つまり、たった1日で100人である。この小さな国の中だけで。
自殺と断定できず事故死になっているものや、未遂で終わっているものを含めると10倍ぐらいになるのでは?という。

毎日のように人身事故で遅れる電車。

何を悩んで、何に行き詰って命を急ぐのか。
そういう次元の話ではないのかな。

心の問題なのかな、お金の問題なのかな。

でもケイベツなんてできない。
今生きている自分が強いから、頑張ってるから、正しいからだなんて思うものか。
みんないっしょだよ。


もっとのんびり優しい世の中になれないのかな。


そんなことを考えながら家に帰る。

家に帰ってジャージ姿の息子を見るとまたまた不安になるが、もうそういうことは言わない。
少なくてもしばらくは。

何も言わなければこのままずーっとグータラしてる。
そう思い込んだら、赤の他人といっしょだ。


五木さんの本には書いてあった。
「信じる」ということは、裏切られてもいいと思って信じることなんだと。