父の所に行くと、今日はまだ点滴を打っている。
先週末、急に熱が出て週明けからは食事に移行するという話だったが・・・。
それから週が明けて、飲み物から取れるようにしようとしたところ、父の熱がまた上がってしまい不安定な状態なので、点滴が続いているようである。遠巻きながら、この状態が続くと(たぶん)飲み込む力がもう無くなるのでは・・・という先生の話であった。「もちろん、また食事ができるようにがんばってみるつもりですが」と言葉を選びながら、今後の方向を相談・・・つまり、管につながれたままを選ぶのかどうか親族の意思を確認したいと言う話である。
「妹さんとも相談することになっています」と言い、それとなく私の意志も確認したいようなので、「父と一緒に暮して面倒をみていたのは妹なので、妹との判断でかまいません。」と言う。
病室で父はグーグー寝ていて、無理に起きるよりもこの方が気持が良さそうであった。
手持ちぶさなので、本を読みながら、しばらく隣にいた。
2週間前まではそれでも「飲み込み力」があったということなのか。。。
涙が出るということは、こうして寝たきりでありながら、その存在は支えになっているのだろうか。
そんな事を考える。
一度だけ目をあけたので「sakeだよ」と言うと、いつものように「何しにきたの?」と言う。
力をふりしぼって、と言う表現が近いだろうか。「穏やか」とか「楽に」と言う状態ではない。
でもその悲しみはどこかまろやかで、親が死ぬと言う問題は、生まれた時から体に刻み込まれていて、女が子供を出産するのと同じように、当然として受け入れられるものなのだと分かる。
窓から見える緑は今日もきれいで、この病室に掛かったイタリア辺りの海辺の絵はもう二度と忘れる事はない。
車に乗れば、こうしてまた今年も夏が来て、寒がりな私には今の過しやすい空気がありがたく、何となく祭りのあとのようなたたずまい、道行く人は何も変わらない。
止まり損ねそうだった交差点で赤信号を見上げると、その向こうに青空が見えた。
妹に今日の話をすると、やはり黙り込んでしまった。
でも、やがて奮い立つだろう。
意思表示を全て妹に任せきりにするのも無責任かと思い、「もう今の状態では楽しいもうれしいもないから・・私はもうそれでもいいと思うんだよね」と言った。妹は「ちょっと前もだめなようなことを言われたけれど、また良くなったから。」と言うので、「そうだね、食事を取れるようにがんばってみると先生も言ってたよ。」と言う。
Aさんは「オレもそこはドライな考えだね、それどころか親はぽっくりいってほしいとさえ思う」と言うので、「何言ってるんですか、両親揃って長生きしてくれれば一番いいでしょう?」と言うと、「そういうきれいごとを。」と言い、「こっちに来て一緒に暮すならいいけど、離れた所で片方1人になられてもちょくちょく面倒みになんていけないから、いっその事ぽっくりでいい。オレはそういうとこドライなんだ。」と言う。
「別にぽっくりいかなくても、身の回りの事ができなくなったら施設や病院を考えればいいんです。そうすれば離れていても安心ですよ。」と言うと、「生きていれば会いに行かなきゃと思うけどsakeさんみたいに行けないからね、そんなのムリ」と言うので、「それは大丈夫大丈夫。介護職のお友達に話によると、会いに来る人と来ない人と両極端なんですって、来ない人は全然来ないそうですから、行けなければ行かなくてもいいんですよ。」
Aさんは「そうじゃないよ」と言い、「会いに行かなきゃと言う罪悪感でしょ、行かないと死んだ後も後悔するでしょ、そういうのがたまらないんだ。」と言うので、「どこがドライなんですか。」と笑った。
二人でカラオケに行った夜、Aさんは誰のなんて言う歌か分からないけれど、その歌を歌って「おふくろへの気持なんだ」と言っていた。「いつかkekeもそういう気持になるよ」
その事を覚えていたので、「オレはドライだから」といちいち繰り返すAさんがおかしかった。
「ちょっと前はぽっくりと思っていたけど、こうしてゆっくりお別れするのも少しづつ心の準備ができてよかったのかも。」と言うけど、私もそう思うようになったのは割りと最近かもしれない。
先週末、急に熱が出て週明けからは食事に移行するという話だったが・・・。
それから週が明けて、飲み物から取れるようにしようとしたところ、父の熱がまた上がってしまい不安定な状態なので、点滴が続いているようである。遠巻きながら、この状態が続くと(たぶん)飲み込む力がもう無くなるのでは・・・という先生の話であった。「もちろん、また食事ができるようにがんばってみるつもりですが」と言葉を選びながら、今後の方向を相談・・・つまり、管につながれたままを選ぶのかどうか親族の意思を確認したいと言う話である。
「妹さんとも相談することになっています」と言い、それとなく私の意志も確認したいようなので、「父と一緒に暮して面倒をみていたのは妹なので、妹との判断でかまいません。」と言う。
病室で父はグーグー寝ていて、無理に起きるよりもこの方が気持が良さそうであった。
手持ちぶさなので、本を読みながら、しばらく隣にいた。
2週間前まではそれでも「飲み込み力」があったということなのか。。。
涙が出るということは、こうして寝たきりでありながら、その存在は支えになっているのだろうか。
そんな事を考える。
一度だけ目をあけたので「sakeだよ」と言うと、いつものように「何しにきたの?」と言う。
力をふりしぼって、と言う表現が近いだろうか。「穏やか」とか「楽に」と言う状態ではない。
でもその悲しみはどこかまろやかで、親が死ぬと言う問題は、生まれた時から体に刻み込まれていて、女が子供を出産するのと同じように、当然として受け入れられるものなのだと分かる。
窓から見える緑は今日もきれいで、この病室に掛かったイタリア辺りの海辺の絵はもう二度と忘れる事はない。
車に乗れば、こうしてまた今年も夏が来て、寒がりな私には今の過しやすい空気がありがたく、何となく祭りのあとのようなたたずまい、道行く人は何も変わらない。
止まり損ねそうだった交差点で赤信号を見上げると、その向こうに青空が見えた。
妹に今日の話をすると、やはり黙り込んでしまった。
でも、やがて奮い立つだろう。
意思表示を全て妹に任せきりにするのも無責任かと思い、「もう今の状態では楽しいもうれしいもないから・・私はもうそれでもいいと思うんだよね」と言った。妹は「ちょっと前もだめなようなことを言われたけれど、また良くなったから。」と言うので、「そうだね、食事を取れるようにがんばってみると先生も言ってたよ。」と言う。
Aさんは「オレもそこはドライな考えだね、それどころか親はぽっくりいってほしいとさえ思う」と言うので、「何言ってるんですか、両親揃って長生きしてくれれば一番いいでしょう?」と言うと、「そういうきれいごとを。」と言い、「こっちに来て一緒に暮すならいいけど、離れた所で片方1人になられてもちょくちょく面倒みになんていけないから、いっその事ぽっくりでいい。オレはそういうとこドライなんだ。」と言う。
「別にぽっくりいかなくても、身の回りの事ができなくなったら施設や病院を考えればいいんです。そうすれば離れていても安心ですよ。」と言うと、「生きていれば会いに行かなきゃと思うけどsakeさんみたいに行けないからね、そんなのムリ」と言うので、「それは大丈夫大丈夫。介護職のお友達に話によると、会いに来る人と来ない人と両極端なんですって、来ない人は全然来ないそうですから、行けなければ行かなくてもいいんですよ。」
Aさんは「そうじゃないよ」と言い、「会いに行かなきゃと言う罪悪感でしょ、行かないと死んだ後も後悔するでしょ、そういうのがたまらないんだ。」と言うので、「どこがドライなんですか。」と笑った。
二人でカラオケに行った夜、Aさんは誰のなんて言う歌か分からないけれど、その歌を歌って「おふくろへの気持なんだ」と言っていた。「いつかkekeもそういう気持になるよ」
その事を覚えていたので、「オレはドライだから」といちいち繰り返すAさんがおかしかった。
「ちょっと前はぽっくりと思っていたけど、こうしてゆっくりお別れするのも少しづつ心の準備ができてよかったのかも。」と言うけど、私もそう思うようになったのは割りと最近かもしれない。