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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

これでよかった

2014-06-04 | 日記
昨日は奥さんを亡くされたご主人の挨拶を聞いて涙してしまった。

その奥様は幼い頃に両親をなくし親類の家で育ったそうである。そしてそのご主人と結婚、息子が授かった時に初めて「家族の幸せ」を感じたそうだ。やがて息子が結婚して家を出て行ってしまい、息子を取られたと嫁に辛く当たった時もあった、と言う話である。

私の母も幼い頃父を戦争で亡くし「にぎやかな家庭を作りたい」というのが夢で、その夢が叶った、夢は願っていれば叶うものだとよく言っていた。あの時代の人はみんなそうだったのか、と言う気持と、息子を取られたという悲しみもそりゃあるだろうなぁと泣けてきた。

そのご主人は、お涙物語を語るつもりはなく、ただ挨拶をせねばならぬと普通に故人の記憶を語ったつもりが、逆に涙を誘うのである。
やっぱりドキュメンタリーに勝るものは無い、と映画もドラマも観ない私が言うのはおかしいだろうか。自分の親の葬式にも泣かないだろうと思ったのに人の葬式で涙するとは。


帰りの車でも「そういうこともあるんだなぁ」なんて思いながら、「嫁と姑」みたいなこと、どっちがいい悪いみたいなことでもないように思う。

私は今まで、見栄とか虚栄心みたいなものを持っている人を、半ばケイベツしていたが、その人にもそれまでの、そこに至るまでの事情があるのだろう。小さな規則破り=例えば駐車違反だって、そうしなければならなかった事情がある場合がある。
罰則はあるにしても、私個人が人様を裁くようなことはなるべくこれからはやめたい。
年を取る、大人になる、ということは、そういう事情を想像しながら、人を赦せるようになる過程ではないだろうか。

kekeが引きこもっていた時にG子は「原因があるから結果がある!」と原因を追究して、悪い所を改めようとした。今になると分かるのだけど、その状況を「悪い」と決め付けることが既に相手をバカにしていないだろうか。でも、当時は私も同じである。G子ほど行動力がなかっただけで、やはり「悪い」と決め付けていたのである。

相手を「悪い」と決め付けて改めさせようとするのと、「相手を理解しながらその先を模索しようとする」とする態度は違うだろう。
会話がまったく成り立たず部屋にこもっていたのも何となく分かる。


簡単に「幸せな人生」とそうでない人生があるように思いがちである。
でも、私がもしもいわゆる「幸せな人生」に恵まれていたら、こんな風には考えなかっただろうな。

だから、私の今までの生き方は、これで成功だったのだ。
世の中にはいろんな人が居て、さまざまな理由があって、今ここでこうしている。
自分と同じように一生懸命日々考えて、生きている。

世の中にはよろしくないと言われていることがいろいろある。
失恋、離婚、倒産、無職、不倫、もちろん駐車違反も。
でも、そこにはいろんな事情が絡みあって、私が一言で片付けられることなんて、何もない。
それが分かっただけで、成功な人生だったと思う。


私はたぶん、kekeがお嫁さんをもらって出て行っても「とられた」とは思わない。
先に死ぬだろう私と一緒にいるより、その方が本人にとって良いにちがいないから。

そう思えるのは、子供時代にちゃんとした家庭に恵まれて両親から愛情をもらっていたからなのだろう。過去に恵まれた「幸せな家庭」は必要ないのだ。(パートナーには今も憧れるけどね)それも分かって、改めて両親に感謝したい。