きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「生きているのがツラすぎる」から5年

2019-08-22 | 息子keke

家に帰るとお掃除ロボは終わっていて、部屋から出てきたkekeに「ロボは動いているの?」と言うと「うん」と言う。
「夕飯、どうしようかな」と言うと、「買ってきたから要らない」と言う。
ネギトロと鶏の甘酢ダレのようなのを買ってきたのだ。

晩御飯のしたくは自分だけなので、冷蔵庫にある皮をトマトとツナでパスタにした。1人だったので味付けもろくにしないまま混ぜて食べてしまった。

休み明けから会社に来てない人がいる。
昨日は夜にnanuさんはおうちに行ってみたと言う。明かりはついていたけれど、インターホンを押しても誰も出てこなかったと言う。「でも名刺もポストに入れてきたし、見ていないはずはない」と言う。

8月と言えば毎年「生きているのがツラすぎる」を振り返る時である。

その日kekeが働きもせず家でグータラしていたので、私は怒鳴り散らしたあげく、「生きているのがツラすぎる」とブログに書いた。それは紛れも無く5年前の今頃だった。

その「生きているのがツラすぎる」から1年が過ぎ、kekeは働いているようだった。当時はまだ不定期で2~3ヶ月働いてはしばらく休んだり、昼間だったり夜だったりしていたようだ。

それから2年後、あの「生きているのがツラすぎる」から3年経った頃、kekeは「今はなんと!毎日仕事に行っているのである。」と書いてある。そして私は「ヒトカラに行ってくるね」と言うと、お皿を洗ってくれたりしている。(そして毎年この時期はkekeに感謝の日にしようなんて書いてある。)

そして4年が経ち・・・今年は5年になる。

kekeはお皿洗い機を買ってくれたり、お掃除ロボを買ってくれたりしている。
そして私は玄関をあけ、「ロボは動いているの?」などと話している。
あの頃からしたら、夢のような生活だ。。。

もっとも、変わったのは私自身の見かたもそうなのだけど。。。

「もういい!kekeが働かなくても、このまま2人でずっと暮らそう!」
そう思ったあの日から何かが少しづつ変わっていったのかもしれない。

会社に来ていない彼も、混沌とした思いがいろいろあるのだと思う。一つの大きな何かが原因ではなく、幾つかの原因が重なり合って、心が折れてしまったのではなかろうか。

あの頃は子育てが失敗だと思い、もう何もかもオワタ・・と思ってしまった。
でも今になって振り返ると、kekeは家にいながらも、ご飯を作っていた時期があったり、どうにか何か変わりたいと思っていたんだよね。でも私はそれを認めようとはしていなかった。
自分の理想ラインに息子が届かなければ気がすまなかったのだ。(それを正しいと履き違えて)

今思うと、もっと早くどうして優しくしてあげられなかったのだろう、と思う。
でも、時間は掛かったけれど、こうしている今があるから、もういいか。。。

まだこれからもいろいろ起こるだろうけど・・・kekeには幸せになってほしい。
小さい時から苦労をさせてしまったから、これからは幸せになってほしいな。。。