今日は取り立て特に何もない一日だった。昼休みはまたさざんか公園に行った。お天気は良かったが、これ以上寒くなると外でランチも寒いかもしれない。(もうしばらくは通うつもりだけれども、無理はしないようにしようと思う。)
さざんかは散ってはいるが、まだ花もきれいだ。
朝、久しぶりに及川さんの動画を見る。
この時のゲストは、武田邦彦さんであった。
武田先生曰く、地球温暖化は心配する必要はないそうである。むしろ今CO2が激減していてデータ的にはそちらの方が心配だとまで語っていた。特に日本は島国で周りは海に囲まれているから、中国大陸とかアメリカ大陸とか、大きな大陸が温暖化になってからでも30年ぐらいまだ余裕があると言うのである。
この話題は私は詳しく知らないので、「へぇそうなのかなぁ」と思ったぐらいで、それよりも驚いたのは、武田先生はいろんな本を出しているが、著作権は全て放棄しているので誰かが切り取ったりパクってもかまわないという話。著作権とはお金儲けのために近代作られた制度なのだとか。そんな些細なことにこだわるよりも「真実を世に伝えたい」と言う気持ちがあるのだろうか、何て太っ腹なのだろう。
それから江戸時代の身分制度は、一番偉かったのは武士だけれども、武士は俸禄がお米だから、貯めておくことができなかった。だから偉かったけれどお金持ちではなかった。つまり当時は「お金」と「地位」は分離していたのだ。それが西洋文化の影響なのか何だか、だんだん変わって、今じゃ地位が高い=お金がいっぱいもらえる人となり、そう言う人は周りを見下げていばってる。そして自分がお金持ちで偉いんだぞと思っていて、更に欲を追いかけている。そして人の間で貧富の差は広がっていった。
私らは何となくそれ(能力のある人が偉くなってお金を持つこと)が当たり前のように何となく思わされてきて、(そうなれない自分はダメ人間なんだ)と思わされてきたけれど、そうでない時代はあったし、そうでない世界でこそ人は思いのまま伸び伸び自由に生きていくことができるのではなかろうか。
「引きこもり」という言葉があり、そういうものを「頑張れないダメなケース」と思い込んできたが、むしろこんな時代に頑張ろうと思えない彼らの方が全うだったのかもしれない。本来の人間らしい心を持っているのかもしれない。(とまで最近の私は考える。)
夜に見たのは、やはりマドモアゼル・愛先生の動画である。
(この動画の49分辺りから、藤原直哉さんがこれから世界がどうなるか?を予測しています。ちょっとびっくりする話もありました。)
最後には来年から少しづつ価値観が変わっていくだろうという話になり、もうそろそろ「偉い人=お金を稼ぐ」という時代は終わっていくそうである。もしもそうなら、そんな時代を見てみたい。目の前の問題はいろいろ山積みだけど、この先には希望が待っているのだろうか。。。。?