きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ハミング

2022-06-10 | 歌謡曲・カラオケ


今日はまたハンバーグ弁当です。作り置きしておいたもの。

最近、寝っ転がりながら「健康」の本を読む。
身体にやさしい言葉が好き。

先のことも未来のこともよく分からないけど、自分に「やさしく」してあげたいと思う。だからなるべく夜は早く床につこうと思った。2日前から。
せめて自分くらいはやさしくしてあげよう。

最近はたまにピアノを借りて、自分の弾いた曲を録音して、車の中で聴いたりする。
「そこだ、そこだ、がんばれ」とでも同調したくなった時に、昔のレッスンを思い出した。

私はいつも練習をサボっていたのだが、それでもだんだん弾けるようになって弾いていると、いつも隣で先生がそれに合わせてメロディーを口ずさむのだった。私の先生が特別そうなのか、他の先生もそうなのかよく分からないけれど。
すると、私はそれに合わせて、盛り上げて弾いてみたり、ゆっくりしたり、何となく曲になっていくのだ。

(そんなこともあったなァ)と思いながら、ふと気が付くと同じように「そこだ、そこだ」と思いながら、気が付くと左手はリズムに合わせて揺れていたりするのだ。

ピアノというのは、何回、何百回弾いても、なかなか満足できない。まずミスが無いことがないし、たまたまミスが無くても何となくもっとああならないのか、こうならないのかと思い、もっとうまい人はどう弾いているのだろう?と思ったりする。・・・・つまりキリがない。

そこでまた元気な頃の母の姿を思い出す。
母は習字をしていて、それこそ何百枚?(何十枚かな?)同じ文字をひたすら書いていた。

きっと同じなのだと思う。書いても書いても追及すると、もっとああしたい、こうしたい、こんな風に表現したいとか、きっとあるのだろう。

たぶん、写真とか、絵も、みんなそうなのだろう。
そう言えば俳句の世界でも「そのもの(対象物)に同化するように何句も作りましょう」みたいな言葉もあったっけ。それがつまり「道」というものではなかろうか。。。。

そうやって時間をかけて生み出したものは、素直にいとしいのだ。
私は今までそう思うことが恥ずかしくて、半ば「けしからん」と思っていた。自分がしていることを「いとしい」と思うなんて。自分のような大したこともない人間のことをそんな風に思うだなんて。

でも自分がそう思ってあげなかったら、誰が私を認めてくれるの?
一生懸命努力して(努力なんていうほどエラそうなものじゃないけど)作り上げたものを、自分こそ誇りに思えなくて、どうするのだろう?

と思って、私は車の中で、自分の曲を聴いた。
頑張ってるじゃんと思い、いい線言ってるじゃん、と思う。(親バカならぬ自分バカ)

うまかろうと下手だろうと、関係ない。
私が頑張ってたどりついたここまでの結果をいとしく思おう。

それって、きっと大切なことだよね?

そして、はるか昔にピアノのレッスンで、先生が同じように歌ってくれたことを思い出すのだった。。。。