きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

いつものお店

2009-11-12 | 今の会社
今日も1時間以上早くに家を出て、会社近辺をクルクル回る。

でも、やはり渋滞、交差点、思うように車が進まなくて、あまり遠くへは行けない。
それでも、もよりの銀行や作業服を頼んでいるお店の前を走ったりした。
今まではちょっと自転車で行くという距離ではなかったが、これからは車で取りに行ける。

その作業服の店だが、以前は電話をすると店長さんっぽい、話が通じる人が電話に出て、「うちの会社の作業服の冬用をお願いします。」と数とサイズを言えば、注文できたのに、最近は電話が転送された挙句に出てくる女の人が使えない。

会社の名前を何度言っても把握できないし、まぁそれは私の発音が悪くて、よく聞こえないのかもしれないからいいのだが、「いつもの作業服をお願いします」と言うと、型番は何ですか?と逆に訊かれてしまうのだ。

「あのぉ・・たぶん店長さんなら分かると思いますけど・・いつもそうやって頼んでいるのですが。」と言ってみたが、自分はそれでは分からないと言う。

この人と話してても埒があかないので、「それではFAXでお願いするので、それを他の方に見せてください。」と言って、電話を切る。
そして、その店御中で、「いつもの作業服の上着を○サイズを○着、お願いします。見積りを送ってください。」と書いてFAXするのである。

すると翌日ぐらいに、店から見積もりが届いて(見積もりというより、FAXが届いたかどうか私が確認したいからそうしているのである。)、「それでお願いします。」と私が電話して、発注完了。

それが何ヶ月前だっただろうか。
次の時もそうだった。また会社の名前を何度も訊き直されて、「いつもの」と言っても分かりそうにないので、「では、FAXします」と電話を切って「お願いします」のFAX。

そして、先日3回目。

試しにまた電話して「いつもの作業服(冬用)をお願いしたいのですが。」と言うと、「いつものと言われても・・・・(苦笑)」と言う返事。
(苦笑がポイント↑)

あのねぇ・・・・。
私、お宅を試してるだけなんだよ。
本当にお客様に対する気持ちがあったら、私ならすぐに型番出てくるように、ノート作ってると思うんだけど。そうしたら店長だって気持がいいだろうに。

「作業服何着お願いします」だけのFAXって、いい加減バカにされているのに気付かないかなぁ。。。。

飲み会

2009-11-12 | 母子家庭だから思うこと
私は飲み会が苦手らしい。

今までハッキリとそう言う自覚がなくて、酒もカラオケも好きなんだからきっと好きなんだろうと思ってきたけれど、帰ってきてから「あぁ、面白かった!」と思うことがない。
若い頃と違って二日酔いになるほど飲もうとは思わないし、こっちがほとんどシラフで酔っ払いの相手は、年を取るたびに面倒くさくなる。
そのうちシモネタが始まってくると、耳を塞ぎたくなる。

私は小学校自体の「うんてい」と呼ばれてた遊具を思い出す。
高い所にある横棒を両手で握って、更に上の横棒までおさるさんのように手を伸ばして次々に渡っていく遊具だ。
私はあれが大嫌いだった。
どんどん高くなって、それがとても恐怖だったのである。
たぶん、最初から2個目までしか行けなかったと思う。

酒の席には座っているが、それを楽しめと矯正されるのは、まるであの「うんてい」のようだ。
楽しめないのだから、楽しむ事もないのだろう。
周りの人が楽しんでいるのをジャマしなければいいのである。

kekeもそう言う性格がよく似ている。
自分がこう言う性格だから、子供は社交的にしなければと、公園デビューみたいなものもかなりムリに参加してたりしてたけど、今思うと、あんなに無理にすることはなかったし、あれをした所でkekeが社交的になることはなかった。
「こうして人はしたくなくてもしなきゃならない社会生活があるのです」と教える機会にはなったが。

もともとが、独りでひっそりしているのが好きな親子だったのだ。
それでありのままで良かったのだなぁと18年経った今では思う。

私はこれからも面倒な飲み会に参加して酔っ払いの相手をしないとならないが、それは仕事の延長だと割り切る事にしよう。

苦痛だと思っている自分を否定せず、正直でいようと思う。

汗だくの後悔

2009-11-11 | 今の会社
今日は飲み会だから、バスで行こう。
いや、バス代を浮かそうと、半分は歩いてみよう、と思った私。
・・・アホでした。

あまりにすごい降りでカッパを着ていたのですが、汗だくだくで下着までびしょぬれ。
その上のカットソー(って言うんだっけか?)までびっしょり。

制服に着替えてから、えもんかけ(=ハンガー)で干してますが、湿ったままです。

車好きのOROが請求書を持ってきたので、「今週から車で来てるんだ」と言うと、「車、ないじゃん」と言うので、今日は「これから飲み会だから置いてきたの。」と答えた。

「こんな雨の日になんで車で来ないの?」
「今日、この後飲み会だから。」
「それなら会社に置いておいて、明日チャリ(=バス?)でくればいいじゃん。」

 ・・・・・

「そうか。。。。」
「7時からだから、一度家に帰ってから来たってよかったのに。」←と部長も言う。

 ・・・・・そうすればよかった。。。

この二人には、まさかバス代をケチって、汗だくで歩いてきましたとも言えず。。。。

まだ服は湿ったまま、いっこうに乾きません。
こんなの着たら、風邪引いてしまいそう。

夕方までに下着だけでも乾いておくれ。。

他人事

2009-11-11 | 車の練習
やはり平日の運転は慣れない。

歩行者も自転車も多い。
左折の時に、ゆっくり確認すると、後ろからクラクションが鳴る。><

日曜の朝とは大違いだ。
コワイ。。。

それでも、今までより30分以上早くに家を出る。
会社の近くをグルリと回ってみる。
途中でコイン洗車場をみつける。
今度は値段も覗いてみよう。


会社では、特にモコが話題になることはない。
私1人が内心ウキウキしているだけである。

あまりにスルーされ過ぎなので、部長に「あのぉ・・・車に乗ってきたんですけど。」と言うと、「そうか~!隣にあったのはsakeさんの車だったのか、そう言えば来週から車で来ますって言ってたよね~!」と返事が返ってきた。。

話題になる以前に、気がついていないようだ。(+o+)

昨日の夜、駐車して帰宅する時に、隣の車のサイドミラーが閉じているので、「このような駐車場に長い時間置く時はそれがマナーなのか」と思って、私も下りる前にサイドミラーを閉じることにする。
翌日サイドミラーにつく水滴の量が少ないようだ。
(そのためなのかもしれない)

今日は大家さんの家が賑やかである。
(ずいぶん大きな声の大家さんだなぁ)と思いながら、車を降りて帰ろうとすると、門が開く音がしたので、挨拶でもしようかと待ち構えていたら、そこに現れたのは北澤の父であった。(大きな声なのは北澤父の声だったようだ)

「北澤さん!こんばんは」と言うと、「あれ?sakeさんここの近くなの?」言う。
「そうなんです!ここの駐車場を昨日から借りてるんですよ!」と車を指差してみせたが、車より「sakeさんはこの近くに住んでるんだ~」の方に重点が行っているようであった。

ここはうちのお客なんだよ、と言って「本当に偶然だねぇ」と言って帰っていった。

下請けさんや設計さんも来ているが、誰一人として新しいモコの存在に気づくものは無い。
(気づいてもこの喜びを共感してくれるものは無いようだ。)

今日は夜に飲み会なので、バスで行こうと思う。
こう言う時のバス代もバカにならないので、私は早めに家を出て、半分は徒歩で行こうと思う。
そうすると、バス代が半額浮くからである。

たかが200円ではあるが、それでもそれでコンビニで肉まんでも買って車の中で食べるとおいしいのだ。

昨日作ったお好み焼き。

間違えて水を2倍入れてしまって、また粉を入れなおしたので、こんなボリュームに。。。

これがカーライフ

2009-11-09 | 車の練習
今日は初めての車出勤だ。

道は混まない道を選んだが、途中の右折が赤信号で「→」の出なかったり、バス専用レーンの時間帯だったり、あとは通勤時間で横断歩道の切れ間がなかなかなかったり、戸惑う事が多い。
自転車だと30分掛かった道のりが20分になったぐらいだ。

・・・が、それでもやっぱりイイ!!(^o^)丿
これがカーライフか!

まだ外気音がBGMだが、そのうちCDデビューもできるに違いない。
音楽を聴きながら、程よい気温で通勤できるなんて豪華絢爛、うれしいなぁ。

私は会社の駐車場の一番隅の奥に置く事にした。
本当は隅から二番目が水たまりもなくて一番良いのだが、そこは部長がいつも置いている場所だし、次に水たまりがなくて良い3番目も自分で分捕ってしまっては申し訳ない気がした。
(社長は別の所で屋根がついている)

部長の車に当たると困るので、なるべく逆側に寄せるようにしたが、そうすると自分が今度は車から出れなくなってしまうので、何度も出し入れをして、どうにか入れた。

やった~(^o^)丿

私はこのシアワセな気分を忘れないようにしたいと思う。

思いだせば、初めてkekeと出会った日、それから今の会社に就職した時も、やっぱりこんな気持だったと思う。
旦那と暮らし始めた時もそうだったのかもしれない。
それからkekeが合格した日とか。

それがいつしか時の流れに色あせ、ブーブー不満たらたらで「生きていてもしょうがない」とまで言っていた自分。
そんな自分を反省して、これからはモコ生活を楽しむことにしよう。


今日の銀行へは、会社のチャリで行くことにした。
あそこの銀行はいつも駐車場が混んでいたし、それより、今までさんざお世話になったチャリに知らんぷりは失礼だと思うのである。

そこで登場するのは、時々読んでいる山本ふみこさんのブログである。

「わたしがこっそり、「おとこを捨てるのより、モノを捨てるほうが酷だよ」と乱暴なことを思ったりするのはここのところだ。捨てたおとこはいつかまた(あるいは、たちまち)元気になってあたらしいおんなやら、あたらしい人生をみつけて生きていくことができる。それがどんなに困難でも、その可能性はあるというわけだ。」
(以上原文をそのままコピー・・この後に「おとこを捨てる」と言う表現は比喩です、とある。)

物は主張できない存在だと言うのである。

私は前回同様またまたこの言葉にくぅ~・・と唸った。

そうなのだ。モコは私をずっとこうして待つしかない。
私はお茶碗を洗いながら、モコを見て「待っててね」とテレパシーを送る。

そして、モコだけではなくて、台所の床にも、炊飯器にも、kekeとも、全てのものと仲良く折り合って生きて行きたいと思うのだ。
(実際に掃除や手入れまで行き届くかどうかは別として)

こうして私は新しい人生を見つけることができる。

できた・・・?



・・・・・できるのだろうか。

モコにYELL

2009-11-08 | 車の練習
今日は初めてモコに乗った日。^^

車の説明を聞いている時に、別のお客さんが還付金の書類がほしいと尋ねてきた。
ニイちゃんに「私は待ってますから、あちらにどうぞ」と言った。

戻ってきたニイちゃんに「前の整備の仕事と、今度の営業の仕事はどっちが大変ですか?」と尋ねると、ニイちゃんはう~んと考えて、「整備の仕事は体力が大変だったんですよ。でも、今は(こう言う風に)お客さんが(急に)現れて、重なってしまう事があるんです。」と言う。
「でも、もともと僕は車やバイクがすごく好きなので、どっちも好きなんです」と言った。

一通り説明を受けて、モコと初めて対面した。
私はデジカメを持ってきていて、写真を撮らせてもらった。
ニイちゃんが一緒にどうぞ、と1枚撮ってくれた。

車庫証明のシールを貼ってもらった。
「ここは空気を入れないように貼ります」と言って、ニイちゃんはとても丁寧に貼ってくれた。

いよいよ私はこの車を運転して帰る。
私はカバンを整理したかったし、初心者マークもつけたかったから、「もういいんですよ」と言った。
でも、ニイちゃんは「いや、見送らせてください」と言う。

この瞬間がこの人は好きなのかもしれない。
そして、nanuさんや秀クンや他のみんなも、きっとそうなんだろうなぁ。
私の仕事は、直接客と関わる仕事ではないからよく分からないけど。

そこらをちょっと走ってみた。
そしてガソリンを入れて、父の所に向った。

駐車をしていると、直通バスを運転しているおじさんが居た。
「車、買ったんだね」と言う。
「いい色だね」とほめてくれた。

父はソファーに座って眠そうだった。
また「sakeだよ」と言った。
いつものように「何しにきたんだ」と言う。

シアワセばあさんのカバンが隣にあるのに気づいた。
トイレに行っていたようで、やがて戻ってきた。

シアワセばあさんは今日も「この人、歌の先生なの」と言う。
そして、歌でケンカしたり、仲直りするのだという。
父の事が大好きで、施設の一番エライ理事長に「この人と結婚するからお祝いちょうだい」と言ったら、「何言ってるんだバカモン」と怒られた、と言う。

父は「勝手に(コイツが)言ってるだけだから」とふざけて相槌を打つ。
こう言うチャチャの入れ方が、母の時とよく似ている。
そして二人は声を合わせて「てんてんてまりの手がをそれて~」と言う歌を歌いだした。
それから次は「勝ってくるぞと勇ましく~」と言う歌であった。

そしてばあさんは「歌はいいわよ。歌でケンカしたり仲直りしたり笑ったりできるから」と言う。そしてまた「この人は歌の先生で何でも知ってるの」と言う。
父は「ブタの先生かい?」とまたオヤジギャグをかましていた。

まるで夫婦漫才のようである。
父は楽しそうであった。

「また来週来るね」と言うと、父はおぉと言い、手を振った。
ばあさんはまたEVに乗るまで手を振っていた。

そして、モコでまたグルグル回った。
100円ショップがあったので、入ってみた。
今まで乗っていた自転車にビニールカバーを掛けようと探したが、子供用の小さいのが精一杯だった。
車を駐車場から出そうとした時に、入れ替わりに入ろうとする車があり、それは偶然にも妹の車だった。

「あれがウワサのモコちゃんね」妹と旦那は口にしただろう。。。。

駐車場は前突っ込みに慣れていないので、まっすぐに入らない。
バックで入れなおそうとすると、自転車が後ろを横切った。
・・・ふぅ。あぶないあぶない。。。

道路の左側から90度で入れようとすると、斜めになってしまうので、少し右側を走って大回りで入れてみた。そうすると、まっすぐに入るようである。

これから、マイカー生活が始まるのか。(^o^)丿
年を取って授かった子供はカワイイと巷で言われるが、この年で初めて持った車はうれしいものだ。

さっそく、来週は遠出をしてみよう。
今日のこの気持、この先悲しい事があっても忘れないようにしよう。


♪サヨナラは悲しい言葉じゃない
 ♪それぞれの夢へと僕らをつなぐYELL
  ♪ともに過した日々を胸に抱いて
   ♪飛び立つよ 独りで未来(つぎ)の空へ

今日はいきものがかり「YELL」のこの箇所がリピートリピート頭を回った。

車の説明書も読まねばならないが、今日は地図を抱いて寝ようと思う。

友達はいらない

2009-11-07 | 私の倹約術
昨日スーパーでレジに並んでいるおじさんのカゴの中を見た。
見切りで黒ずみ始めている58円のバナナと一番安い88円のレトルトカレーが入っていた。

それを見て、ホッとした。


私はほとんど友達がいない。

付き合いがあるのはOM君のお母さんと、G子ぐらい。
二人とも「私お金がないから」と平気で言える友達だ。
公園でお茶できる友達だ。

私は昔っから友達が少なく、それを引け目に思っていた時期もあったが、今ではとても良かったと思っている。
付きあいにお金が掛からないとその分をよそに回せる。

つきあう男もいないから、服装や髪に金をかけなくて済む。
外食代も掛からない。
これもありがたい。

土曜が休みじゃないところも、最近気に入っている。
土曜が休みだったら、ドライブか買い物をしたくなるだろう。
そうするとガソリン代も掛かる。
しかも家にいると、これからは寒い。
会社に行けば暖房に無料であたれる。
これはかなりありがたい。


私は過去を振り返る。
少なくてもここ11年間の間に、誰か友達に泣きついた事があっただろうか。
女友達と言うのは旦那や家庭を優先するので、ここぞと言う時に言ってつきあってもらえるとは限らないのだ。
そこが、当てにならない一番の理由。

付きあっている時間や金を換算すると、友達はネットつながりで充分なような気がする。

こんな私を人は淋しいと呼ぶのだろうか。
(それもミジメなので、居るフリはしておこう。)


CDが売れないと聞いたが

2009-11-06 | 歌謡曲・カラオケ
ブラッとレンタル屋さんに入ったら、シングルCDコーナーにYUIとか、いきものがかり、中島美嘉・・・新曲が並んでいたので、借りる事にする。

最近ではすっかり新しい曲はご無沙汰だった。
いきものがかりの「ホタルノヒカリ」とサザンのアルバムを借りたぐらいだった。
そう言う心境にもなれなかったと言うか。


それにしても、いきものがかりのシングルはハズレがない。
今度の「YELL」もいい。独特な宇宙みたいな空間を、前向きの文字で締める辺りがツボにはまる


YUIも休業からどうなるかと心配したが、曲調も詞も変わらないのでホッとした。
これ「It's all too much」もリピートリピートで覚えたい。前曲の「again」も借りたいと思う。

それから覚えておこうと思うのは、柴崎コウの「ラバソー」と中島美嘉の「CANDY GIRL」。
これは両方ともロック調で覚えやすそうだ。


ところで、最近さらに年を感じるようになった。
今回も、歌詞カードの小さい文字を見るために、いつのまにか手を遠くに離していた。
最初この癖に気づいた時、「あ!お母さんみたい」とうれしく思ったが、当たり前にこうしてしまう自分はいわゆる「老眼」になりつつあるのである。

まだ、メガネをはずせば見えるので老眼鏡のお世話にまでは行かないが、こうなると時間の問題だろう。やれやれ・・・。

そのせいか、最近のヒット曲もすんなり耳に入らなくなった。年のせいかもしれないが、似たような曲ばかりに聴こえてしまう。
マスコミが売り出している曲は「柳の下の二匹目のドジョウ」狙いな気がして、疑い深くなった。
そんなのに踊らされるままのがイヤになった。
それも一つ心が離れた理由。

最近、CDが売れなくなったと言う。
ダウンロードが主になりつつあるのが理由だと言うが、果たしてそれだけだろうか。
流行の若者だけに的をしぼって、媚びているような作品作りに問題はないのだろうか。

30代はどうだか知らないが、少なくても40代50代60代は、ヒット曲を求めているのである。少なくてもゲームなんか無くて音楽で育った世代であるから。
ただ、ついていける歌が無いって言うか、出てくるのは10代20代惚れたはれたの曲ばかりなのだなぁ。

最近、だからヒトカラも昔の曲ばかりになってしまう。
そうなるとさらに音楽から遠ざかっていく。
それだけのことだ。

ついでに全体的に音域が高すぎる。
もっと年配が誰でも歌えるように低音の曲作りをしてほしい。
私はキー変をするが、カラオケ好きでないと今の音域は歌うのがキツイ。

他の業界はあの手この手で、若者から年配からのお客様が楽しんでもらえるように日夜アイデアをひねっているのである。
音楽業界だけが若者だけにターゲットをしぼって、またこう言う曲を作れば食いつくだろう的な営業展開をしている。

それで売れるわけが無い。

車練習デビューの頃

2009-11-05 | あとから選んだ総集編
今日は私の車記念日である。
2年前の今日、私は初めて路上運転したのだ。

2年前の今頃のブログを読んでみると、当時はまったくもって、どうしようもならない状況だったのが分かる。


ダメかも(2007.11.5)

ペーパー練習もあと1時間を残すのみとなったが、まったく運転できるようにならず、凹んでいる様子である。
それでも路上練習を始めようと、若葉マークと携帯のプリペイドを買うが、その時のコンビニくじでビールが当たってしまい、「当りすぎです。車ももしかしたら当たるかもしれません。」と書いてある。


初!!路上1人運転(2007.11.6)

ゴタゴタ書いてあるので分かりにくいが、初めて1人で車に乗り、駐車場内の移動を試みた後に、たった一度だけ会社の周りを左折のみで一回りしてきた経験談である。
誰でも初めての時はこうなのだろうか。
それとも私は特別、車オンチなのだろうか。
普通の神経の持ち主だったら、この状態で既に運転を諦めるであろうと思われる。


駐車場初体験(2007.11.27)

これは地下駐車場の初体験である。
路上に出て最初の1週間は会社の周りだけを左折のみでグルグル回り、次の週は右折練習をかねてセンターラインのある道路に足を踏み込み、ここで二車線の国道を通るのである。さらに地下の駐車場に降りて行くのである。
あの怖さはまさに命がけで、今でもよく覚えている。
駐車場で「初めてなんですけど~これを取ればいいんですかぁ~」と大声で叫ぶ私。。。
思い出すと恥ずかしいが、間違えて又とんでもない事をやらかすよりは、大声で訊いた方が良いにちがいない。


20キロドライブ(2007.12.9)

路上デビューから1ヶ月。
いよいよ20キロ先の街までドライブを決意する。
地図しか見ていなかったので、途中に速度50キロの広い道路があるとは知らなかった。それだけでも怖いのに、どんどん窓ガラスが曇って行くのである。
あの時の恐怖は未だに忘れられず、あの場所を通るたびに思い出すのである。

ここから先はブログに記述がなくなる。

当時の会社でも社員ブログをする習慣があり、そちらでたぶん書いていたのだろう。
マックのドライブスルー初挑戦や、朝、駐車の練習ができるビデオ屋を見つけて、断りもなく、何度も何度練習した。

20キロドライブは、思わず行ってしまったが、基本的には遠出はしなかった。会社の車で事故でも起こしたら大変なことだったし、道が通れて駐車ができれば、履歴書に書いてしまえと思っていた。

辞める間際に、K女史に食事に誘われた。
sakeさんの運転で行きましょうと言う。
そして、「だいたい大丈夫ですよ」と励ましてくれた。
彼女がいなかったら、これからのモコ生活はなかっただろう。

今こうあるのも、当時の会社の人達のおかげだ。
あれからどうしているだろう。
Iさんは不倫中だった彼女と籍を入れたらしい。
「正式に聞いたわけではないですが」とK女史のメールに書いてあった。

まぁそれはともかく、納車の日にはまず写真を撮っておこう。
そして、来年の年賀状はその写真で作ろうかとも思う。

K女史はそれを見て喜んでくれるかなぁ。

老いらくの片思い

2009-11-05 | 父の記録と母の思い出
先週父の面会に行くと、またシアワセばあさんとテーブルのイスに腰掛けていた。
ばあさんはティッシュを折って、父の胸ポケットに入れているところだ。

父はよく鼻水が出るのでティッシュを探すのだ。だから、ばあさんが折っていつでも取り出せるように胸ポケットに入れてくれているのだろう。

私はまた「sakeだけど~」と二人の前に現れた。
ばあさんはポカンとしている。
マスクをはずすと、ばあさんは私が分かったみたいで「娘さんがきたわよ!」と父に言った。
(インフルエンザが流行っているのでマスクをしてみたのだ。)

しばらく立ち話をしていると、介護士さんがソファーを開けてくれて、私と父はそちらに移った。
「みんなは元気か?」と言うのが主な父の会話だった。
kekeの名前が出てくると、「何をしてるんだ?」と言うので「大学生だよ」と言った。

「何歳なんだ」と言うので、「18だよ」と答えた。
「番茶の出ばなだな」といつものように言う。

「またみんなで会おう」と言うので、「そうだね」と答えた。
何度も何度もこの会話は繰り返された。

そろそろ帰ろうかと思い、父に元のテーブルに行く?と尋ねると、行くと言うので、またばあさんの隣のイスに座らせて帰る事にした。
ばあさんは父が戻ってきたので、とってもうれしそうな顔をした。

父は現役時代にそこそこの役職まで上り詰めたので、周りには偉そうな態度をしていた。
ファミレスで頼んだものが遅いと店員にイヤミを言うのが、私も妹もとてもイヤだった。
そう言うイメージがあったから、ばあさんにあれもこれも世話されて、なすがままの父が不思議に思うのだが、あれが本来の父の姿なのかもしれない。
ちょっと気がつかなかったが、母と二人の時もああやって、なすがままに世話をされたのかもしれない。その逆はありえないから。
なんせ、上に兄が3人、姉が3人居た人だ。
誰かにかまわれて、相手してもらえるのが好きなのだなぁ、素直な人だったんだ。

ばあさんは目が良いので、私がエレベーターに乗るまでずっとニコニコ手を振り続けている。
私も何度も手を振り返した。

他の人は相変わらずだ。
うろうろ歩いていたり、ぼんやり天井を見つめていたり、パンパンと手を叩いている人などなどなど。

今度いつか父の好きだった歌を、ばあさんにも聞かせてあげたい。
館内も音楽が流れているが、それは父の本来の持ち歌ではないんだなぁ。

マッチとか矢沢とか、谷村新司とか。
本当に父の好きだった歌をもう一度聞かせてあげたい。