きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

やってみよう

2010-03-21 | 息子keke
やっとkekeがアポを取ったみたいだ。

決められるかどうか分からないけれど、二人で出かけてみよう。

夜にはすごい突風が吹いているようだ。
こんなに音がするのも珍しい。

これから何が起きるのだろう・・・不安がよぎる。


kekeはもう物件もネットで探しているようで、そこでいいと言う。
と言うより、そんなに選択肢がない。家賃だって限られている。

「これで勉強に力が入らなかったら・・・」「アパートトラブルに巻き込まれたら・・・」
そんな事ばかりがグルグル回り、つぶやくとキレる。

「どうしてそんな水さすような事ばかり言うんだよ」と寝っ転がる。


そうだよねぇ、そうだよねぇ。

私の車のレッスンだって、そうだった。
2週間目で挑戦した、地図だけでの冒険。

それからまい進した初めての環八、246、お台場。
あんなのどこで事故に遭ったって、全くおかしくないようなものだった。
バックミラーなんてほとんど見れなかった。
茅ヶ崎ではクラクションを鳴らされて「バカヤロー」呼ばわりだ。

先週は初めてkekeの学校近辺に行った。
あれは何かの虫の知らせだったのか。
スタンドで入れたガソリン。
家族経営でアットホームな感じだったっけ。

kekeが選ぶ場所も、あそこら近辺。
それも何かの縁だろうか。
片道朝早くでも2時間半。
あんな所まで車で行けるようになったんだ。
あの時の「やりたい!!!」って言うあの気持。

あの時に誰かに潰されたら、私は車に乗れなかったんだ。
「事故が起きたら」なんて誰も言わなかった。
どうしてそう言うことを私は言ってしまうの?

もし、物件が上手く見つかったら、これがあの子の「あの時」なんだろう。

余計なことはもう言わないようにしなきゃ。

どうかまだ物件が残っていますように!


しかし、ギャンブルだ。
子供が大きくなると、ギャンブルの揺れ幅が大きくなる。

どうなってしまうんだろう。

頭痛い・・・(ーー;)

2010-03-20 | 息子keke
家に帰って、kekeに「不動産屋と連絡(アポ)取ったかい~?」と尋ねると、「あ、忘れた」と返事が返ってくる。


・・・・忘れた???(ーー;)


私は今日1日、kekeのシアワセを願ってはうるうるし、不動産のH田さんに「敷金礼金ゼロ物件って言うのは、修理費用とかどうなるんでしょうかねぇ?」と尋ねてみたりしたのだが、・・・・本人は忘れてた?

・・・・ほんとうにやる気があるんだろうか。(ーー;)


いったい、よそではこう言う問題にどの位親が関与しているのであろうか。

私はT君のお母さんに電話してみることにした。
T君は小中学校時代にkekeと同級生で、年の離れた二人のお姉さんがいるのである。

「あら、sakeさんお久しぶり」と言って、「(今は本人が隣にいるから)後にしましょう」と言う。
そして私はkekeが風呂に入っているのを見計らって電話をすることにした。

T君のお母さんによると、T君も全く同じことを言っているそうである。
「学校の近くに住んで、バイトをみつけて、月に何万稼げばとか言うけどねぇ。」
「うちと全く同じ事を言ってますね。」
「keke君は遠いけど、うちは1時間なのよ。」
「うちだって、6時じゃなくて8時なら楽勝で起きれると言いますけどねぇ、やる気があれば時間なんて関係ないんじゃないかと。」
「男の子はね、そのまま寝過ごして出席日数が足りなくなるってことも多いみたいよ。」
「・・・やっぱり。。。。」
「うちはだから、パパが『とにかくこの半年でちゃんと起きて1人でやれるのを親に見せろ』って言ったの。」
「そこからですよねぇ。。」
「でも、keke君は遠いし、また違うと思うのよ。」
「でも・・・通学時間がバイトに変わるだけなんじゃないかと思うんですよ。。。(ーー;)」


そうなんだよな、そこなんだよ。

離れていくのはしょうがないし、淋しいのもしょうがない。
でも、あの子にとって、どっちがいいんだろう?

これで、ますます寝坊がひどくなって、学校に行かなくなってしまったら・・・。
それが一番困るんだ。

そんなに1人でバイトして勉強も今まで以上にできるものなのか。


kekeに言わせると、近くに住めば楽勝だよ、と言う。
バイトは土日も入れるし、以前のコンビニだって3万ぐらいは稼いでた、と言う。
今での定期代と小遣いを仕送りにしてくれれば、あとは大丈夫と言う。


うちらは安い物件しかみてないから、敷金礼金ゼロ、保証金1ヶ月ちょっとみたいなのがほとんどだ。
保証金って言うのは戻ってこない敷金みたいなものなのだろうか。
H田さんはゼロゼロ物件は、たまに修理代で請求されるのがあると言っていたけど、そういうのってどうなるんだろう。

頭痛い。。。。(ーー;)

T君のお母さんの話だと、3~4年は就職活動で大変だから、今のうちに免許を取らせる事にしたのだと言う。
「やっぱり免許は取っておかないと」と言う。

そうでしょ~?

うちだって取らせたいんだよ。
車だって、それも見込んで思い切って買ったんだから。

くそ~~

思い通りにまったく行かない。

心配心配また心配

2010-03-19 | 息子keke
朝、運転をしてても急に淋しくなってしまった。

もしかしたら、kekeが居なくなるなんて。

目がうるうるしてしまった。

流れているのは、いきものがかりの「じょいふる」だ。
妹が、CDを焼いてくれたんだ。
「知っているのもあると思うけど」と言っていた。
そうなんだ、時々同じ曲がダブるんだ。
「能動的3分間」もダブってた。私も聴いていた曲だった。

今日は歌詞が空回りしている。


G子の娘さんはもう一度浪人が決定したという。
予備校探しも大変だったという。だからメールも送れなかったと書いてある。
私は「こっちはこっちで大変だよ」と事情を書いた。
「子育ってって大変だね、辛いね」と返事が来た。

ほんとだ、心配心配、また心配。
もういいだろうと思うと、また次の心配だ。
そんなに心配したって結果は変わらないのだろうけど、心配なんだから仕方ない。
また波がやってきた。

それからG子も私も、自分が大黒柱なんだ。
他に相談者がいないんだ。
あ、G子はM君がいた。
同じゼミだったM君とは、旦那のアレがあってからいろいろ相談に乗ってくれているらしい。娘さんにも説教をしてくれたと言う。

kekeが居なくなるかもしれない。
誰にその事を伝えたらいいんだろう?
と言うより、誰だったら分かってくれるんだろう?

妹だったら「うちに食べにおいでよ」って言うかもしれない。
でも、それは全然違うんだ。
そう言うことじゃない。

それはただの気休めにすぎない。
よけい淋しくなるだけだ。


私は顔を思い浮かべて、やっぱり違うなと消した。
何も励みにはならないな。
こう言う時に当てにならないなんて。


「人間は1人で生まれて、1人で死んでいく」
そうかもしれないなぁ。


こうなってみるまで、何も気づかないのか、私は。

どうなることやら

2010-03-18 | 息子keke
kekeの成績表が送られてきた。

結果はあまりかんばしいものではなかった。
たまたまkekeは家にいなくて、電話で話をした。

kekeは神妙に聞いていた。
今は友達と居て、これから家で麻雀をしてもいいか?と言うので、あぁいいよ、話はその後にしよう、と言うことになって、しばらくすると友達3人を連れてやってきた。

その中にはOM君もいた。
kekeと同じようにおとなしい仲間たちは、おとなしく点数を競いながら細々と麻雀をしていた。
約束通り、10時になると帰って行った。

kekeは成績表を見ながら「思ったより取れている」と言う感想を持ったようだ。
もう駄目だと思って、(それがないと留年になってしまうから)専門科目に力を入れていたと言う。
夜9時に帰って朝の6時に起きて勉強する時間なんてないよ、と言う。

「でも、普通の社会人はそんなものだよ。。。(--;)」
「社会人は仕事してればいいんでしょ。」

kekeは学校の近くに住みたいと言う。
いくつか物件も調べた、3万で住める所もあると言う。

私はようやく聞く耳を持つようになったのかもしれない。
このままで何もしないよりは、やってみてダメかどうか確かめてみるのは大切なことだ。

やっと不動産屋を探すことになった。

私はそんなに甘くはないと思ってる。
ひとりで近くで暮らしたって、仕送りには限度があるし、通学がバイトの時間に変わるだけなのだ。

でも、それでダメならまた考えればよい。
やらないで、うだうだしているのは良くないだろう。

こういうことって言うのは、こうしてある日突然起こることらしい。

後悔

2010-03-17 | 女だから思ったこと
人と言うのは、自分があと何日しか生きられないと分かった時に後悔ばかりが浮かぶと言う。

「それは・・・もっと健康にしていたら、とかそう言う事ですか?」
「そう言う事は後悔しないよ、タバコも体に悪いと分かっていて吸ったんだから。」

それでは例えばにどういう後悔なんでしょう?と尋ねると、う~んと考えて、「資格の勉強をしたかった」とかそう言う事だ、と言う。

「そうなったら資格なんて関係ないじゃないですか。」と言うと、そう言うことではないらしい。そして、「80歳のじいさんでもそうなんだ。もうこれだけ生きてりゃ充分だろって人でも、同じようにそう言う事ばかり浮かぶんだよ。」と言う。

「その時になれば、sakeさんも分かるよ、絶対。」
「そうかなぁ・・・いや、そんな風に思いませんよ。だって毎日それなりに精一杯生きてますもん。・・怠けてもいますけど、それ含めて精一杯。」

「それがそうじゃないんだよ。今に分かるよ。」と言う。


私はそれがいつか分かる日が来るのだろうか。

例えば、いつかkekeと離れる日が来るとして、あの時もっとこうしておけばよかったなんて思うのだろうか。
また、それは全然違う類の話なのだろうか。

わずかでも、そこに未来が繋がっているなら、また違う話になってしまうのだろうか。

(プチ)ついてない一日

2010-03-16 | 日記
今日はさんざんな一日になりそうだ。

午前中から社長に怒られ、最後まで入れたはずのデータが何件か飛んでいるのが分かったり(途中で保存してなかったのか)、昼に買い物に行こうとしたら、花粉マスクが見当たらない。

こう言う風になっていくと、気分がどんどん凹むので、ますますうまくいかなくなる。
今日は社長の弁当と一緒に自分の昼も買うことにした。

朝、炊飯器を開けたら、ご飯がほとんど残って無く、それでも残った分だけマーボー豆腐をかけて弁当に入れて行こうかと思った。それで昨日の残りのマーボーをチンして、餃子を一つ食べたら、急に腹が減りだして、ご飯も少しだけ食べようと言うことになった。
そして、ひとくち箸でつまんで、口に運んでいる時に、珍しくkekeが起きてきて「これ食べる?」と訊いたら「食べる」と言う。マーボーも食べるか?と訊くと食べると言う。餃子も食べるか?と訊くと食べると言う。
(こんなに朝からkekeがモノを食べる事は滅多いにない、珍現象だ)

だから、昼も買いに行かねばならなくなった。
朝、途中でコンビニに寄ろうと思ったら、今日は踏切でつまずいたりして寄れないまま、花粉マスクも見当たらず、顔面いっぱい花粉を浴びて買いに行く羽目になった。

105円の菓子パンと牛乳、それだけでは物足りないから、ハッピータンの小袋パック(70円)を買って帰ってきた。
食べたけど、イマイチ空腹が満たない。

でも、ここで肉まんを買いに行くと、昼飯で370円以上かけてしまう。。。。
それなら焼きそばでも買った方が良かったのだ。
そう思うとくやしい。

どうして私はこんな100円前後で悔しがったりしなくてはならないのだろう。




・・・・ダイエットでもしよう。(--;)

未来予想図(侘)

2010-03-15 | 息子keke
今日はkekeの大学までドライブに行く。

この前kekeは「3万円からあるんだ」と言っていた。

「そんなに仕送りできないし、バイトするんだったら結局同じことじゃないの」と私は言う。
「家だったらご飯もあるし、洗濯だってできてるんだよ。その分の時間が浮くじゃないの。」

ダメだとは言っていない。
だがしかし・・・・。


とは言うものの、たしかに遠い・・・・(+o+)
これ、毎日通学してるとそれだけでふくれっ面になるのも分からないではない。
地図の通りに左にカーブを切って、しばらく走るとkekeの学校が見えてきた。

きれいな校舎だ。
近くにはスーパーもあるし、団地もある。


今日はただドライブに来ただけなのだ。
でも、ここらでもしかしたらkekeが暮らすかもなんて想像したら、急に淋しくなった。


ここには、(ここではなくても)いつかは私の知らないkekeの生活があるのだろうか。



まぁ、でも仕方ないね。


「でも、本当に1人暮らしする気なんてないんでしょう?」
「どうして?」
「あったら、春休みに入ってすぐ、もう探しているでしょう?」

それとも、よその大学生は親が部屋もみつけて、準備もしてあげるものなのかな??

「もしも1人暮らしをしたら、週末は帰ってくるの?」と尋ねると、「帰る訳ないでしょ」と言う。
電車賃がもったいない、と言う。

本当に行く気があれば、1人で何か始めていくだろう。





・・・・でも・・・1人は淋しいのぉ。。。。(;_:)




今日のリピートリピートは中島美嘉の「GAME」である。

この曲はカッコよくて、なかなかカラオケ向きだと思うのだが。
ぜひともレパートリーの一つに加えたいと思う。


カラオケ友達でも作るか。
夜はバイトでも始めるか。

わびしいながらも、私の未来予想図なのだ。。。

初めての親友

2010-03-12 | 女だから思ったこと
昨日、ミーに数学を教えた後で雑談を始めた。

ミーのブラスバンド部は今度演奏会をするそうである。
「みんな参加するの?」
「うん、不良の先輩は来ないかもしれないけど。・・髪の毛が黄色で時々茶色になったりするんだよね。」

それで思い出した。^^

「そう言えばね、おばちゃんの中学2年の時の親友は、3年生になったら急に金髪になっちゃったの。」
「え!そうなの!」
「でも、すごく仲良くてねぇ・・おばちゃんはすごく真面目でガリ勉で分厚いメガネを掛けている感じだったの。お友達は金髪で・・・廊下であったりすると、『sake~(^O^)/』『chikoちゃん~(^o^)丿』って呼び合う仲だったのよ。」

そう。

私にはchikoチャンと言う初めての親友・・・ができた
・・・のが、中2だったのだ。

chikoちゃんはやっぱり母子家庭で、お兄ちゃんがいた。
お兄ちゃんは昔で言うツッパリ・・つまり不良だった。
お兄ちゃんのお友達もたぶん不良仲間だった。

私の母はchikoちゃんと付き合うのに反対するのだが、気が合う友達には変わりなかった。
学校ではいつも一緒で、帰りも一緒だった。
 
家に遊びに行けば、お兄ちゃんにもお会いするのだが、私は普通に「chikoちゃんのお兄ちゃん」でしかなかった。
ごく普通に遊びに行き、マンガを読んだりしていたのだと思う。
chikoちゃんとは毎日交換日記もした。
たしか、chikoちゃんは好きな人だか彼氏だか、いたのだと思う。
キスをしたと書いてあった。

私は「へぇ~」とトリビアの泉のようにつぶやいた。
元々が天然ボケしているので、そう言う人もいるのだなぁ、と暢気にとらえていた。
それだけだった。

たぶん、彼女が「sakeちゃんたらダサイわね」と言う上から目線があったら、こう言う付き合い方にはなってないと思う。
彼女はあまり勉強ができる子ではなかったけれど、私はそれを「だから何」とも思わないように。

chikoちゃんは、ちょっと進んでる子。
私は勉強はできる子。

二人はなかよし。
いつでもいっしょ。


3年生なってクラスが別れてから、chikoちゃんは突然金髪になってしまった。
先生からあまりよく思われなくなっていた。
 
ある日、何かでchikoちゃんがうちの教室に入ってきた。
周りが一瞬ひいた。

そこで私は「chikoちゃん~(^o^)丿」と言うと、chikoちゃんも「sake~(^O^)/」と言う。
それでも私たちは変わらないのだ。

いや、たぶんもともと、何も変わっていないのではないかと思う。
変わっているのは見た目だけなのだ。

chikoちゃんがその後どういう進路を取ったのか私はよく知らない。
おたがいに住む世界が変わってしまったのは、紛れもない事実だった。

卒業してまもなく近くの駅でバッタリ偶然会った。
やっぱりその時も「chikoちゃん~(^o^)丿」「sake~(^O^)/」と言いあった。

根本的には何も変わってはいない。
たぶん、今でも偶然どこかで会ったら・・・・・。



「・・・・・そう。それがおばちゃんの中学2年の友達なの。ミーちゃんも今度はブラスバンド部に後輩が入ってくるんだね。」

と言うと、ミーはちょっと嬉しそうだった。


中学2年か。。。

いい時期だ。^^

遠いあの日

2010-03-11 | 息子keke
今日は晴れた。空が明るい。

6時半に目が覚めて、通勤前に洗車をするか!と思って、やめた。
会社の泥ジャリ駐車場にはまだ水たまりがあちこちにあるだろうから。
私の今でもピカピカのモコは、あの駐車場の水たまりに入るたびにタイヤ廻りに跳ねが上がる。

それでも遠くから見ると、キラキラ輝いていて、私はその度に満足する。


K女史からメールが届いた。
お子さんが生まれたそうだ。

私がkekeを産んだ時は、周りの友達は誰も出産どころか、結婚すらしていなかったから、育児マニュアル本みたいなものしか知らなかった。

あんなに夜泣きが続くとは思わなかったし、あんなに束縛されるものだとも知らなかった。
誰かが先に子育てをしていて、愚痴の一つでも聞いていたら、もっと覚悟みたいなものがあったに違いない。分かるように言えばモー娘の辻ちゃんがいきなり子育て始めたようなものだったと思う。(実際に彼女もお母さんなのだが)

しかも、あの子は私の腕の中では泣きやまないのに、父だの母だの元旦那だのに抱かれると泣きやんでスクスク寝るようなタイプだった。
二重に参った。

それから、やっと夜泣きが治まって、ご飯も普通のものが食べれるようになって、かわいい盛りで喜んでいたら、喘息が始まった。
今から考えればかなり大袈裟だけど、天国から一転して地獄になったような気分だった。気分はそういう感じだった。それまでは牛乳とお茶しか飲ませない厳しい方針だったのに、冷蔵庫にはズラッとジュースが並んだ。
そう言う時に少しでも水分を飲ませないと、痰で息ができなくなってしまうからだった。

そんな事をつらつら思い出しながら、K女史はどんな子育てをするのだろう?

でも、彼女は私の10コ下だから、それなりに育児に関してもいろんな知識や経験を見聞きしているだろうから、私のような上から下への大騒ぎみたいな子育てにはなるまい。

彼女と私が全く異質で、「私が黒なら彼女が白」の人間だとは思わないが、赤と青ぐらいの違いがあるような気がする。(もちろん赤は私の方)
それほどまでに、彼女の人生は淡々と計画的に着実に進んでいる。

これからどうなっちゃうんだろう?と泣き暮れたあの日。

kekeが喘息で二回続けて入院してしまった日の事。
手に握ったウルトラマンの人形。
点滴。
あまりにも小さいので、私が病院で一緒のベッドで寝る事が許されたこと。

でも、今は普通に、本当に普通に育ったんだよなぁ。


こういう事を思い出すたびに、私はドラえもんの道具であの頃に戻って教えてあげたくなる。
そんなに心配しなくても大丈夫だって。


そうか。
kekeが結婚して、嫁さんが来たら、そういう風になればいいのか。

それはいいかもしれない。

大雪の日に

2010-03-10 | 息子keke
昨日、kekeは帰りが遅かった。
はっきり時間は分からないけれど、午前様だったと思う。
11時ごろ「何時に帰って来るんだい?」とメールを送ったら、分からない、遅くなる、みたいな返事がすぐに帰ってきた。

今日は、それ以上は何も訊かなかった。
返事が来れば=元気でいるなら、どこに居ても、何をしてても大丈夫だって思えたから。

それで、前の晩やたら機嫌がよかったなぁ~なんて事を思い出したり、その前に彼女の話を珍しくした時も同じように楽しそうだったのを、思い出したりしてみた。

本当は私も約束があったんだけど、雪で流れてしまった。
天気予報は雨だったのに。
よく、こんな日にkekeは出かけたもんだ。

でも、遠くだったら、もう少し考えるよな。
雪で電車がどうなるかとか。
この前みたいに中学の友達の家で徹夜マージャンだったのかもしれない。
きっと、そんなところだろう。

私もこの頃、特にデートだったりしたら、親にどこに行ったのか訊かれるのが面倒だったっけ。
そんな事も思い出した。


どうして、子供はこんなに信頼できるんだろう?
携帯に返事が来れば、元気でいるなら、それだけで安心なんだろう?

これが、彼氏とか、旦那だとそうとは限らなくなるんだろう?

私はこのまま、kekeがどっかうんと遠くに離れていても見守っていけるのだろうか。


偶然、瀬戸内寂聴サンの恋愛経歴を読んだ。
恋多き女性のように聞いていたが、それは当時の時代だったからセンセーショナルなのかもしれない。

私は2度も離婚をして、その後もちょっとした事があったりしているけれど、子育て一本で男ナシの時代も10年以上もあったし、恋多き女性どころか、全然縁薄い方だと思っている。

ただ真っ正直にためらわずに結婚もするし、仮面夫婦なんて事はできないで離婚するから、何やらいろいろ遍歴みたいなものが、お尻に付いて回って来るだけなのだ。それと「尻軽」とは別物なのだが、同じように見る人もいるだろう。

そんな私なので、瀬戸内さんや、宇野千代さんみたいに、自分の体ごと体当たりでそう言う事にぶつかっていく人が好きなのである。こんな言い方は同列みたいで誠に失礼であることは分かっているが、要するにそう言う感じなのである。

私なんて、頭が悪い上に自虐的な所があるから、余計にそういう不運な色がついてしまうのかもしれない。もうそろそろ分かってる。
でもそう簡単に性格は変われないのである。
そんな不器用な自分が好きなのである。40年以上生きていると、そんな愚かさにも愛着がわくのである。

どんなに頭が良くても、無難な人生でも、笑いも涙も突き進み感もない人を「そんな人生だったら、どんなに穏やかか」と思いながらも、やっぱり羨ましいとは思ってないのだろう。


私は人から好かれも軽蔑もされるだろう。
もうそんな事はどうでもいいよ。

好きに生きて行くよ。