八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

新手のならず者国家にならないといいのですが。。。

2011年11月02日 20時00分27秒 | 管理人のこと、雑感

リーマン・ショックの傷もようやく癒えてきたと思ったら、EU欧州連合のギリシャ危機で世界経済は右往左往しています。

 

そもそも、財政状態にバラツキがある各国が、共通通貨ユーロに参加するために、財政健全化の基準がありましたが、ギリシャはこれを粉飾していたという前科があります。そして今、デフォルト寸前のソブリン危機を引き起こして、世界中を振り回しています。

 

過去にもデフォルトと言ってもいい債券免除のようなことを何度も引き起こしているらしいですが、そのギリシャの内実が、国民の4人に1人が公務員で、定年後も働いている時と同じくらいの年金をもらえるという公務員天国と聞けば、真面目にEUを支えるドイツなどが面白いはずがありません

 

ということで、肝心要のドイツが抵抗したことから、世界の株式相場や為替市場、世界経済まで相当な動揺がありました。しかし、そういう国家ごとの部分最適を考えるだけでは結局、欧州連合のみならず世界経済全体という全体利益を損ない、巡り巡って自分自身の利益を損なうことから、ようやくギリシャ支援の合意がまとまりました

 

これで、何とかソブリン危機の沈静化と思っていたら、何と驚いたことに、ギリシャのパパンドレウ首相が、ギリシャ支援策の是非を問う国民投票を実施すると発表し、世界を驚愕と奈落の底に突き落としました

 

ギリシャ支援策には、当然のことながら財政健全化を求める公務員削減など、ギリシャにも痛みを求める施策が入っています。支援を受けるのだから当然です。しかし、それを巡って、ギリシャ国内で激しいデモ、暴動が起きているのは、ご承知の通りです。そんなところで国民投票をし、否決され、総選挙などをしていたら、ますます混迷は深まるばかりです。そんなことをしている暇はありません

 

「ならず者国家」とは、かつては独裁政権で軍事的脅威を与える国家のことを指しましたが、今では、ギリシャのような小国が全世界を振り回し、新たな経済的「ならず者国家」になりつつあります。自分たちの利益を要求するのもいいですが、その利益が他国の協力の下に成り立っているという自覚を持ち、「ならず者国家」などと言われない矜持を持ってほしいものです。

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世界の人口、日本の人口。

2011年11月02日 18時50分46秒 | 管理人のこと、雑感

先日、世界の人口が70億人になったことがニュースで報道されましたが、あわせて、世界の人口が何人と憶えたかで年代が分かるなんて話も出ていました。

 

先日、同僚と昼食をとっていて、その話になり、

一番年上の50過ぎの人が「45億人くらいだったと思うけど」と言いました。

 

40代半ばの私が、「えっ?!私は36億人と覚えた記憶がありますけど…」と言うと、

 

そして、40過ぎの後輩は、「私は40億人くらいだったような…」。

 

そして、職場に戻って、別な40歳くらいの後輩に聞いてみると、「62億人って記憶してますけど」(って多すぎだろっ!)。

 

というように、てんでんばらばらで、年代とさっぱり合いませんでした

 

 1970年(昭和45年)  36億人

 1975年(昭和50年)  40億人

 1980年(昭和55年)  45億人

 2001年(平成13年)  62億人

 

総務省の統計資料だと以上の結果でした。これを見ると、私と40過ぎの後輩が比較的近いという結果で、50過ぎの先輩はもう会社に入った頃の数字に近いです。もう一人の後輩が言った62億人は、子どもに勉強を教えていて覚えたんじゃないかという数字で、ちきんと憶えていないと、まったく参考になりませんでした。

 

と、それはさておき、日本では人口が減り始めたのに、世界の人口爆発には歯止めがかからず、今後どうなるのかという点では、本当に心配になります。

 

一人っ子政策をとる中国に代わりインドが人口1位に躍り出るのは確実と言われていますが、ここ数年、どこかの建物で空き物件が出ると、カレー屋になることが多いような気がします。

 

この辺でも、散田架道橋の交差点のモスバーガーもカレー屋になりましたし、今はなくなりましたが、GSの向かいのよく店が替わるラーメン屋だったところもカレー屋になりました。椚田の大通りのラーメン屋もカレー屋になりました。会社の裏のカレー屋も震災で従業員が帰国したとのことで閉店しましたが、別なカレー屋がオープンしました。やはり、国内だけでは増える人口を賄いきれず、どんどん世界に出ているんでしょうね。

 

そして、もう一つテナントをどんどん埋めているのが、ケアセンター・デイサービスなどの介護施設です。大きなものから、本当に小さなものまで、あそこ空いたな…と思うと、ケアセンター・デイサービスになっています。

 

カレー屋とケアセンター。今の世界と日本を象徴していますね。

 

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久々の30kmジョグ(立川まで)。

2011年11月02日 12時24分08秒 | Jog&Walk,Health

30km以上走ったのは、震災直前の3月9日に45km走って以来ですから、半年ぶりのことになります。今日は秋晴れになるので、ちょっと長く走ろうと昨日から決めていたので、絶不調にもかかわらず、8時頃、ジョギングに出ました。

 

甲州街道の銀杏並木も色づき始めましたが、暖かい日が続いているので、いつもより遅いですかね。ちなみに大和田橋のあたりの銀杏はまだ青々をしていました。

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甲州街道に平行する北大通りを行くと、建て替えられた五中が見えてきました。秋季大会で対戦した野球部は、二中と合同チームになっていましたが、グランドも使えず、部員が減っているのかもしれません。ちなみに、同じ建て替えでも、南向きで開放的な横中に対し、厳めしいといか、スタイリッシュというか、シャープな外観です。

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大和田橋を渡り、石川入口で甲州街道を左折し、ずっと北上すると、多摩大橋を渡って、昭島市に入ります。浅川と違って、多摩川にかかる橋ははるかに高く、欄干は腰の辺りまでしかないので、とても怖いです。フラフラ走っていたら、落ちてしまいそうです

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新奥多摩街道、奥多摩街道を越え、青梅線東中神駅横を抜けるとすぐに昭和記念公園の昭島口です。存在は知っていましたが、歩行者・自転車用の入口なので、入ったことはありません。今日はここから入って、公園を縦断し、色づき始めた草花の写真でも…と思ったのですが、何と9時30分開園のため、開くまでまだ十数分あったので入れませんでした。残念!

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立川通りに出る前に、線路をくぐって、錦町の商店街を抜けていくと、奥多摩街道に合流し、ふとみると、旧甲州街道の看板がありました。柴崎体育館の横を通って新奥多摩街道に出る数百mの短い距離でしたが、かつての街道の面影を残す道でした。

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新奥多摩街道を進むと、すぐに日野橋の交差点で甲州街道と合流します。日野橋から多摩川を見ると、白鷺でしょうか、十数羽群れをなしていました。

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日野橋を渡り、日野駅ちょっと前で20kmです。そして、この距離を走って、日野駅から約1kmにわたって続く、日野坂はきついです。ようやく坂を上りきると、あとは大和田橋まで一直線の甲州街道が続きます。大和田橋には、下の写真のようなカラータイルが何か所かランダムに張ってありますが、これは第二次世界大戦時の八王子空襲の際に爆撃された跡を印しているのだとか。橋の南詰のところにさりげなく案内があるだけなので、大抵の人は知らないでしょうね。

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ということで、家まであと5kmくらいですが、最近30kmも走っていないせいか、さすがに最後の5kmはきつかったです。

 

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今日のジョグ

 30.1km  2時間59分13秒

 

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