・寛永三年金守将監は中風を煩い「色々養生仕候へ共快気不仕候間・・・」豊後の杖立へ湯治に行きたい、ついては往復三十日ほどお暇をいただきたいと申し入れている。これには請人が必要で、横山藤左衛門が署名している。杖立が豊後となっているのが面白い。
・同じ年、藤寺次郎左衛門も通気の故をもって、中国たわら山(長門・俵山温泉カ?)に湯治の願いをしている。請人は永良長兵衛とある。
・竹屋喜兵衛という人は「先年落馬仕候・・」て、有馬へ湯治治療往復五十日のお暇を申し出ているが、「後四月過候て可申候よし可申聞候也」とされている。何の理由か四ヶ月もまたされたのでは、直るものも直らないだろうに・・・・。ちなみに請人は熊谷九郎大夫である。
・竹原以凡(医師)は脱肛だそうな。こちらは藤寺同様中国俵山とあり往復二十五日、請人は嶋村三郎兵衛である。
・財津久兵衛は脚気、肥後国つゑ立へ往復二十八日、請人は志賀左門である。ここでは杖立は「肥後国」とある。
いずれも「史燈」に掲載された「史料細川家文書」によるものだが、強面顔のお武家様がいろんな病気に苦労している様子が伺えて面白い。落馬した竹屋殿は歩行も出来ないのだろうから、籠に揺られての大変な旅だったのだろう。皆さんご苦労さん。
・同じ年、藤寺次郎左衛門も通気の故をもって、中国たわら山(長門・俵山温泉カ?)に湯治の願いをしている。請人は永良長兵衛とある。
・竹屋喜兵衛という人は「先年落馬仕候・・」て、有馬へ湯治治療往復五十日のお暇を申し出ているが、「後四月過候て可申候よし可申聞候也」とされている。何の理由か四ヶ月もまたされたのでは、直るものも直らないだろうに・・・・。ちなみに請人は熊谷九郎大夫である。
・竹原以凡(医師)は脱肛だそうな。こちらは藤寺同様中国俵山とあり往復二十五日、請人は嶋村三郎兵衛である。
・財津久兵衛は脚気、肥後国つゑ立へ往復二十八日、請人は志賀左門である。ここでは杖立は「肥後国」とある。
いずれも「史燈」に掲載された「史料細川家文書」によるものだが、強面顔のお武家様がいろんな病気に苦労している様子が伺えて面白い。落馬した竹屋殿は歩行も出来ないのだろうから、籠に揺られての大変な旅だったのだろう。皆さんご苦労さん。