津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

八代関係資料

2007-06-08 13:07:46 | 歴史
 細川忠興は愛息立允(立孝)をして、八代藩の立藩を考えていたようだが、当の立孝が亡くなり企ても水泡に帰した。忠興の死後八代と忠興に仕えた家臣などに些かの混乱が見られる。侍帳などを見ても離国と思われる数の多さに驚かされる。それらの経緯が「丹羽亀之允言上之覚」と名付けられた文書に詳しい。今ひとつ未見の資料に「松江城秘録」というものが存在している。光尚や家老達との間に取り交わされた書簡集らしい。宇土藩立藩にも関わる資料らしく興味が尽きない。
 
 今ひとつ時代は下る(文化十四年から文政三年まで)が「八代御城附疑惑一件」という八代松井家家臣と、八代御城附衆(本藩派遣)との確執の詳細が知れる書簡集がある。長きにわたる争いにも本藩は成す術も無くうやむやになったとされている。果たしてどのような事であったのか、必読すべき資料である。

 松井家やその家臣団、そして八代を知る上でも早速資料を手元に置き、読んでみたい衝動に駆られている。
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