津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

二つの文書

2007-06-24 14:24:57 | 歴史
 図書館へ出かけようと思ったが、ちょっと躊躇してしまうようなすごい雨、熊本は梅雨真っ只中といった感じで、結局取りやめる事と相成った。
 お目当ては田中左兵衛氏久の「諫言之覚」と、「吉村文右衛門上書」の二つ。前者は松井興長同様の藩主綱利に対しての封事だが、寛文六年綱利二十五歳の頃のものである。肥後文献解題は、綱利「豪放の行多いので」と解説する。また悪友から、「綱利のあら捜しかい?」と言われそうだが、そのような事は全然考えてはいない(のだが・・・)
 後者の吉村文右衛門の上書は、非業の死を遂げた宗孝の時代のものである。よく研究者の引き合いに出されるものだが、小ざかしい小吏の馬鹿な発言が紹介されている貴重な文書である。すなわち「如何程下方迷惑ニ及候共、太守様御為ニさへよく御座候得ハ、支ハ御座無候、よく思候得、太守様大切ニ御座候哉、下方大切ニ御座候哉」と言い「太守様にはかえられない(領民は切り捨てよ)」と言っているのである。文右衛門はこの小吏を「聚斂の臣」だと切り捨てて、沢山の領民が死に直面している様が「御為」かと訴えるのである。文右衛門も又百石取りの小吏だが、この勇気ある上書は宝暦の改革への導火線となったのかもしれない。ぜひとも全文を読んでみようと思っている。

 「聚斂の臣=重税を取り立て人民を苦しめる臣」
コメント
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