津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「本との日々」との日々

2007-06-10 13:14:40 | 書籍・読書
 高田宏氏の「本との日々」を読んでいる。1978年「言葉の海へ」で大佛次郎賞、亀井勝一郎賞を併せて受賞された。1990年には「木にあう」で読売文学賞を受賞された。二つの本ともすぐに購入し今も我が本棚にある。「本との日々」のあとがきに氏は、「このさきそう多くは読めない。その事が実感される年齢になった。読みたい本だけを読む。読みだして相性がよくなかったら途中で止める。そういうわがままな読書になってきた」と書いておられる。まったく同感である。最近私は、新刊本よりは昔の著作に興味がある。さてどのような本を読もうかと思った時に、この本に出会った。百数十冊を取り上げておられるが、波長が合うとでも言うのだろうか、日々「お説ごもっとも」と思いながら熟読している。歴史探求もさることながら、欠落する脳細胞に新に情報を送り込もうという算段である。
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続・肥後藩士小栗氏

2007-06-10 12:05:54 | 歴史
 詳細な日にちははっきりしないが、幼い兄弟四人は乳母三人と共に、松平出羽守に預けられた。細川家にお預けが決まるのは延宝九年七月四日である。早速出羽守屋敷に出かけて受け取ると芝御屋敷に召置き、六日には江戸を発っている。上月八左衛門、堀内太左衛門、寺尾孫四郎、土山七郎兵衛、塩山牛右衛門、余田半助、三浦■五兵衛、釘本藤内、筑紫弥左衛門、北村与三郎及び本道御医師交野与元、外科御医師続■■、歩之御使番宇野左助という人たちが随伴した。その他歩之御小姓二十人、海陸賄方役人二人、御大工棟梁一人、足軽七十人、小頭一人とある。
 大阪に七月二十五日着、二十八日には船にて出発、六十丁立一艘、四十六丁立一艘、九端帆五艘、八端帆四艘、十丁立一艘、五丁立一艘、合計十三艘の船団は八月八日鶴崎に着いている。津田与左衛門、有吉清助、益田弥一右衛門、田邊十郎兵衛、矢野市兵衛、乃美傳左衛門、田中源大夫、岡田源左衛門、和気小左衛門、都築甚左衛門、津田半十郎ほか歩之御小姓十五人、足軽七十人、御馬医一人、御中間十八人、御かし馬七匹が替わって熊本を目指した。八月十二日熊本に到着している。幼い子供達の一月以上の旅は、大変であったろうことは容易に想像できる。そして40年にも及ぶ囲屋敷での生活が始まるのである。
子供らには何の罪も無いのに・・・
    「小栗氏御預人一巻」より

 尚、同文書の書き出し「松本越後守様之御家来小栗太作弟小栗兵庫・・・」とあるのは、松平越後守であり、小栗美作弟である。写本の際の誤記であろう。
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