津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

小笠原玄也、福者に列す

2007-06-03 15:45:47 | 歴史
 6月1日、ローマ法王は江戸初期の殉教者187人を列福したと新聞は報じている。地元紙は細川藩士小笠原玄也の一族15名を含め、27人の熊本県関係者が福者に列されたとしている。詳細はカトリック中央協議会のサイト「ペトロ岐部と187殉教者の列福、正式に決定」に詳しい。
http://www.cbcj.catholic.jo/jpn/feature/kibe_187/decretum.htm

 江戸初期の熊本における吉利支丹弾圧の歴史は、悲惨を極めている。熊本の吉利支丹に関わる研究は、上妻博之先生のご努力に関わるものが大である。小笠原玄也についても「加賀山隼人佐と小笠原玄也」に詳しい。小笠原玄也については我がサイトの侍帳の中に僅かなスペースながらご紹介した。
 小笠原玄也は小笠原少齋(迦羅奢夫人生涯の際介錯、殉死)の三男である。妻みやの父加賀山隼人佐(家老7000石)も敬虔なる吉利支丹で、忠興の再三の棄教の勧めを断って誅伐されている。寛永十二年十一月四日、玄也夫婦と子供九人、下女四人の計十五人がこれも棄教の勧めを断り斬首された。熊本市西部、花岡山の中腹に「加賀山隼人正興息息女(玄也妻みや)の墓」がある。悲惨な最期を思うとき、360余年の刻をへて福者に列せられたというニュースは、少なからずホッとさせるものがある。

 ちなみに上妻博之先生は加賀山家の血が流れているらしい。其の事が「吉利支丹研究」
に情熱を注がれた事に繋がっているという。

 追記 6/4 カトリック中央協議会サイトのアドレスが間違っていました。
    ぴえーる様有難うございました。訂正させていただきました。
コメント (1)
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二度有る事は三度有って、そして

2007-06-03 09:55:44 | 徒然
 またまたサイトが数日間ダウンしてしまった。今回は息子が運営している自宅サーバーの不具合によるもの、こちらは何も分からずおんぶに抱っこ状態だから、「しょうがねーなー」とあきらめ状態で数日を過ごした。先にはOSが壊れて、次にHDがやられて膨大なストック資料をなくしたし、数百件のメールとアドレスを失った。当然生業(建築設計)の方の資料も100%消失、バックアップの大切さを思い知らされた次第だ。一番申し訳ないのが、いろんな方が善意でお送りいただいた沢山の資料である。お詫びのご連絡をしたいと思うのだが、メールアドレスを無くしてしまっているし、術がない。宿題をいただいてご返事をお約束していた方々にも、ご連絡の術を失った。願わくば今一度ご連絡いただければ幸いである。
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