津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本市島崎地区周辺

2007-06-27 21:48:08 | 熊本
 「在宅願頭書」の侍帳への転記を完了した。詳細は先に書いたので此処では省略する。島崎地区は熊本城から西北の方向、距離にして1~2キロの所だが、ここに在宅願いを出している人がかなりある。高禄の人が多いようで、別宅という感じ、ご隠居や病気の父母の為と言うような、本来の「在宅制度」とは些か趣を異にしているような気がする。續弾右衛門が綱利から拝領した御茶屋跡「釣耕園」、藩の医学校再春館師役の村井家(朴見・椿寿)の別荘・叢桂園などもその名残だろう。隈本城主城親賢の岳林寺、加藤清正の本妙寺、細川家藩主の菩提寺妙解寺、細川内膳家下屋敷や菩提寺などが周辺に点在する。ところで釣耕園の「續氏」もともとは中村氏。京都の村雲と云う処に謀反人が籠城したので攻め懸けるが、落ちないので中村安芸守(續亀助親)に退治の下命があり即刻上洛してこれを見事退治。「是にツツク者是ナシ」とて「續」の家名を賜ったと先祖書は記している。石田治部少輔家臣、関が原での戦い振りを三齋公がめでられて慶長五年於丹後召し出しの家である。ご子孫は精神科医、250床ほどの病院を経営されておられる。
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