津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

gisaku100考

2007-06-18 17:10:57 | 歴史
 いろいろご連絡をいただくために、サイトに公開している私のメールアドレスは、現在受信はできるが送信が出来ないと言う、なんとも不思議な現象に困り果てている。その為返信は別のアドレスから行っているが、それが「gisaku100@yahoo.co.jp」である。さてこの「gisaku100」は「擬作百石」をもじったものだが、擬作すなわち「あてがい扶持百石」の意である。これなら絶対忘れる事は無いと言う訳である。
 細川重賢による宝暦の改革は、膨大な借金返済という大命題からスタートしている。これは中家士の家柄である、堀平太左衛門を大奉行に抜擢する事でなしえた事である。だからこそ旧体制との色々な軋轢が起った。その中に「世減之規矩」という家禄の引き下げという事がある。当家は豊前で三齋公に召し出されたが、八代にお供し病気勝ちであったらしく、三齋公死去の後は新知の扱いを受けた。(理由がよく分からない)新知百石の家は「世減之規矩」により「擬作百石」へと格下げになるのである。知行地が無くなり蔵米支給となる訳だ。
  慶安三年以降新知の家(旧知の家は対象外)
     5,500石~4,500石  500石減
     4,400石~3,400石  400石減
     3,300石~2,200石  300石減
     2,200石~1,200石  200石減
     1,100石~ 600石  100石減
      500石~ 150石   50石減
      100石新知       御擬作 という風に各家の家禄が減らされた。

 度支彙函によると、この措置後蔵納は減っているが、逆に給知が増えていて・・・よく分からん。
コメント (2)
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