津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

藩校時習館・初代教授・秋山玉山・・・外伝

2008-02-10 22:35:51 | 歴史
 秋山玉山の実方は山中氏、儀左衛門(玉山)は又吉の子であり、秋山友安の養子となった叔父(又吉弟)需庵の許に、養子として入った。

   山中与三左衛門----宇兵衛----助左衛門--+--又吉----儀左衛門
                (与三左衛門)      |
                       秋山友安----+==秋山需庵==儀左衛門

 秋山家の先祖附によると、中山与三左衛門は備前牛窓の人とある。大坂玉造に住まい浪人していたが、「秀林院様御逝去之砌■茂御屋敷被相詰居申候」とある。「急ニ京都江御女中被■返候事御座候付 与三左衛門儀伏見迄付添罷越候様ニ与被仰付・・・」 用事を済ませて急ぎ大坂に帰ったらお屋敷は焼失していたというのである。

 玉山の曽祖父殿は、ガラシャ夫人に仕えていたのだ。先祖附をてにしてちょっと興奮してしまった。ガラシャ夫人についての史料が少ない中、この事実は大変貴重なものである。(新発見だー・・・)
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お天気に誘われて

2008-02-10 17:42:10 | 徒然
 今日の熊本は大変よいお天気、風は冷たいが太陽サンサンで温度もウナギのぼり、西日が入る私の部屋は現在18℃(暖房ナシ)で、靴下なしで過ごしています。午前中、このお天気に誘われて図書館行き、またまたコピーを80枚ほど、主に「藩校サミット」の勉強をと思い関係史料や、関係人物の先祖附など・・・思いがけず其の史料の中に曽祖父の名前を見つけ感激、先祖附にない事実を知りびっくり。

 岩間六兵衛に関する史料が三通りあることを先にご紹介したが、確認の為に先祖附をコピー、現在訓下中。概略は次の通り

 1、父親は武田信玄嫡男・太郎義信で童名千代丸
 1、義信自害の後、弟信清が預かり嫡男分として養育、武田六兵衛正成と称す
 1、天正三年五月信清、三河■■城で討死
 1、六兵衛若年にて母召連甲州へ立返り奥平九八郎を頼る
 1、奥平九八郎肝煎にて塩治監物の養子となる
 1、塩治監物牢人、のち監物、六兵衛共々小笠原兵部大輔を頼る
 1、塩治監物、大阪御陳に於いて討死、
 1、監物実子は小笠原右近将監に召し出された為、
     六兵衛は岩間の名字を譲受け岩間六兵衛と名乗り、
     兵部大夫御嫡・大學の御守となる
 
  そして兵部大輔秀政女・千代姫(台徳院御養姫)の細川忠利への輿入にあたり、付人
 として細川家に入ることになる。   これが真実だー・・・・
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