秋山玉山の実方は山中氏、儀左衛門(玉山)は又吉の子であり、秋山友安の養子となった叔父(又吉弟)需庵の許に、養子として入った。
山中与三左衛門----宇兵衛----助左衛門--+--又吉----儀左衛門
(与三左衛門) |
秋山友安----+==秋山需庵==儀左衛門
秋山家の先祖附によると、中山与三左衛門は備前牛窓の人とある。大坂玉造に住まい浪人していたが、「秀林院様御逝去之砌■茂御屋敷被相詰居申候」とある。「急ニ京都江御女中被■返候事御座候付 与三左衛門儀伏見迄付添罷越候様ニ与被仰付・・・」 用事を済ませて急ぎ大坂に帰ったらお屋敷は焼失していたというのである。
玉山の曽祖父殿は、ガラシャ夫人に仕えていたのだ。先祖附をてにしてちょっと興奮してしまった。ガラシャ夫人についての史料が少ない中、この事実は大変貴重なものである。(新発見だー・・・)
山中与三左衛門----宇兵衛----助左衛門--+--又吉----儀左衛門
(与三左衛門) |
秋山友安----+==秋山需庵==儀左衛門
秋山家の先祖附によると、中山与三左衛門は備前牛窓の人とある。大坂玉造に住まい浪人していたが、「秀林院様御逝去之砌■茂御屋敷被相詰居申候」とある。「急ニ京都江御女中被■返候事御座候付 与三左衛門儀伏見迄付添罷越候様ニ与被仰付・・・」 用事を済ませて急ぎ大坂に帰ったらお屋敷は焼失していたというのである。
玉山の曽祖父殿は、ガラシャ夫人に仕えていたのだ。先祖附をてにしてちょっと興奮してしまった。ガラシャ夫人についての史料が少ない中、この事実は大変貴重なものである。(新発見だー・・・)