津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

きのう・きょう

2008-02-13 16:54:51 | 熊本
■昨日熊本城に「しゃち」が上がった。昨年「ひび」が発見され、調査中にクレーン車の揺れでこれを壊すという事故もあって、新しい「しゃち」に替える事になった。「しゃち」が下ろされた熊本城は大いに威厳を損ねていたが、これで「余は満足」。新に完成した「本丸御殿大広間」の公開(四月二十日)が待ち遠しい。

■毎日やってくるスズメの軍団の中に、最近「メジロ」が一羽交じっていると妻が言う。私はまだ見ていないのだが、本当かしらん。一握り多めに餌を撒いてみた。

■昨日の夜、風呂上りに「爪」を切りながら、知らぬ内に「爪を噛むのはよくないわ~」と口ずさんでいる自分に気が付いて、思わず赤面してしまった。「夜に爪を切るのはよくない」と祖母に言われて育った。「世を詰める--→寿命が短くなる」とか聞いた。子供が小さい時そんな話しをしたら、鼻で笑われた・・・

■隣の黒猫「宅急便」に盛りがついたらしく、「春の声」を上げては友達を追いまわしていて、うるさくてしょうがない。いつも息子の車の上で昼寝をして、追いまわされているのだが・・・

■我が屋の「ごえもん」の方は「骨皮筋衛門」になってしまった。食事も心臓を動かす為に食っているという感じ・・・ガンバレ誕生日が近いぞ(19歳)

■歩いて二分、お隣の100台ほどの駐車場を持つスーパーTが閉店するらしい。昨年オープンした激安生鮮食品店・Mの影響らしい。妻の友人が数軒もつスーパ・Mーのチェーンだが、その激安ぶりは「利益でるの」とこっちが心配するほどだ。しかし、隣のスーパー・Tが無くなるのも困ったもの・・・跡地は広いし、マンションでも立つのではないのか、心配。
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雑感・・岩間六兵衛と、奥方・海津

2008-02-13 11:51:32 | 歴史
 岩間六兵衛の先祖附は非常に面白い。奥方・海津に関する記述が数ページに及んでいるが、五百石物成を頂戴し六兵衛(三百石)よりもセレブで、「大御老女」として忠利・光尚・綱利に仕えた実力が伺える。六兵衛は細川家にとっては「大恩人」と言っても過言ではない。それは、六丸(綱利)誕生の経緯である。光尚は、六丸生母清高院を、屋敷から下がらせよう(離縁)とした事がある。六兵衛は清高院の懐妊を告げ諌めるのだが、何故か光尚は「流産させよ」と命じる。六兵衛は改めてこれを諌め、自らが預かり六丸の誕生を迎えた。そして、何故か六丸は三歳迄六兵衛の屋敷で過ごす事に成る。正室の子ではないにしろ、嫡子の扱いとしては首を傾げざるを得ない。「丸」と命名された「」の御字についても、兵衛の興味深い記述がある。六年後光尚は生母・保寿院の後を追うようにして亡くなるのだが、「御國返還」を幕府に申し出て、藩は大騒動となる。無事に六丸の遺跡相續が決定するのだが、先のような光尚の言動を思うと、「六丸」への相續を拒みたかったのではないかとさえ思える。一方六兵衛・海津の評価はさぞかしであったろう。後、清高院の派手な振る舞いが始まり、綱利長じての同様の行いが松井興長を苦しめ諫言に至って行く。長生きをした海津の胸中は如何であったろうかと想うのである。六兵衛は、母と共に苦労をした幼い時代を、六丸に重ねたのかもしれない。六兵衛の祖父は武田信玄であり、六丸の祖母は将軍秀忠の養女である。
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直訴の結果

2008-02-13 10:08:27 | 些事奏論
 カテゴリーに「些事奏論」という項を設けてみた。この言葉は、筑紫哲也の「多事争論」に引っ掛けた私の造語で、かってこのサイトに設けていたBBSで看板にしていたものである。「中々いいじゃないか」と自画自賛している。・・さて・・
 最近腹が立つことが多すぎて、どこかで鬱憤を晴らさなければ脳の血管が破裂しそうである。カテゴリーを一つ追加して「安全弁」としようと思った次第である。

 それがいつの事であったか確認する気にもなれないが、あることで市長に直訴した。市長の後援会事務所にメールを送ったのだ。市長がメールに目を通されたかどうかは分からないが、大変恐縮するような返事をいただいた。関係部署から返事をさせるとの事であった。・・・・一年以上経過した・・・・振り上げた拳の下ろし様がない。今一度直訴に及ぼうかともおもうが、役所の対応などはこんなものだろうと諦めている。

 「藩校サミット」を前にして、掃苔マップを作ろうと想っているのだが時間がない。熊本をお尋ねいただく観光客の皆さんに、もう少し分かりやすい案内板などの設置をお願いしたいのだが・・・「内膳家や刑部家、小笠原少齋家のお墓がどこにあるか」くらい勉強してよ、観光課さん。    

 
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