津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

忠興女・万と有吉興道、その後の有吉家について

2008-02-18 17:47:49 | 歴史
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 有吉立言----立吉--+--興道----貞之----貞親
               |  4     (5)
               +--英貴----英安==尚常

 有吉興道は元和四年36歳で亡くなっている。嫡子貞之が幼少で有った為、弟英貴が相続したとされる。貞之への跡式相續がなされなかったのは、どうもそれだけが原因ではなかったようだ。
 「内膳(興道)儀武勇ハ親武蔵守(立吉)ニも不劣なれ共、御意ニ不叶儀有之、内膳跡御立不被成、武蔵跡を平吉(英貴)江被下、諸格式武蔵守通り被仰付候」と綿孝輯録は語る。そして「御意ニ不叶儀」とは「慶長七年之比忠興君より武蔵ニ御内意有之候ハ、お万様を嫡子興長江嫁とらるへきとの事ニ候江共」「興長所存有て御断申上度由」が原因らしい。嫁に取らせると忠興に言わしめた「万」こそ、愛娘のちに烏丸光賢に嫁ぎ、光尚室となる彌々を生む「万」である。「参考:(忠興元和元年)十月、おまん様・于時十八歳・を御同道ニ而、御上洛被成、十一月十九日烏丸光賢卿江御輿入れあり(以下略)」
その縁談を断った事が、とんだとばっちりを受けたことになる。
さて其の後の有吉家の系図に、私はいささかの疑問を持っている。

 (3)英貴・・寛永十年3,500石加増都合18,500石家老
 (4)貞之・・寛永十九年新知1,500石
 (5)貞親・・寛文十年部屋住にて家老職

(5)英安は細川忠利女竹を正室とし、正保二年三月跡式拝領している。父英貴の死の一月後のことである。承應二年十一月家老職、寛文二年五月26歳で京都で亡くなった。有吉家五代目は(5)英安ではないのかという素朴な疑問をもつのだが、如何であろうか。(5)貞親が部屋住みで家老職につくのは、寛文十年であるから辻褄も合う。
残念な事に「有吉家先祖附」を詳しく読んでいない。説得力のない話しなのだが・・・・
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免許更新

2008-02-18 14:09:26 | 徒然
 誕生日+1ヶ月の運転免許更新が、愛犬の世話などで延びのびになって残り二日となり、今日は慌てて免許センターへ出かけた。ブログにも書いたが、一旦停車違反でパトカーに追いかけられたことがあって(自分が追いかけられているとは思っていなかったのだが)、それが災いし二時間講習、期間も三年に成ってしまった。交通規則も変っているし、免許証の内容も変ったりして、たまには勉強をする為にも三年毎くらいが適当だろう(・・・負け惜しみだー・・・)。あと四年すると「高齢者マーク」とやらをつけなくては成らない。そのときには返上するか・・・。今日は片道30分チャリンコで風を切って行って来た。
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大往生

2008-02-18 13:28:16 | 徒然
 昨日わが家の愛犬「ごえもん」が、とうとう命尽きてしまいました。子供や孫達にいろんな思い出を作ってくれた、かけがえのない家族を失ってしまいましたが、18歳10ヶ月の大往生ですから、「お疲れ様」と天国に送りました。小さな骨壷に入って私たちと共にいます。
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