1、加納曲斉
相国寺首座なりしか、還俗して丹後の町人になり居候、総て律義もの成故、今度(田邊城籠城)も致籠城首尾よかりしとて、豊前にて千五百石被下、町奉行被仰付、飯岡豊前(後・誅伐)と相役也 (綿孝輯録・巻五)
2、松山兵左衛門・元直
忠興君の御供仕、高麗陳岐阜にても武功あり、豊前にて病死、其節貯置候銀五十貫目、刀一腰嫡子権兵衛より差上げ候よし、兵左衛門は元若狭侍也、丹後にて三百石、豊前にて六百石 (綿考輯録・巻五--加納曲斎項)
(忠利)愛宕山下坊にて御学文の折り「御附被仰付候」(綿孝輯録・巻二十八)
原城にて武功之面々御褒美被下候--黄金一枚袷単物帷子五宛(綿考輯録・巻四十九)
御暇被遺候 承応二年十月
3、松山権兵衛・重之(元重)
兵左衛門子也、忠興君福智山ニ御取懸被成候節、生野にて御目見仕候へは、いまた御目見も不仕候付、御扶持も不被下候処、此節奇特ニ籠城(田邊城籠城)仕、手柄之御奉公仕候、殊ニ敵つきの櫓を持候而、日夜骨折候段、具ニ被聞召候、日比御扶持被遺、御留守被仰付候もの共さまをくゝり候事、不及是非旨、御意被成候、豊前ニ而御知行三百石被下候、小倉ニ而遠坂越後家来女を連走り候を、黒崎口の人留の者、謀候て外町迄連参候処、篠崎の御侍不残外町江出候へは、右越後家来女をきり殺し候而、切てかゝり候を、権兵衛仕留申候、又小倉にて加々山次左衛門御成敗之節、田中兵庫座敷内にて、密に可仕旨被仰付、則座敷内ニ呼入、手籠ニ仕、兵庫も次左衛門手を取すくめ候而、佐田五郎左衛門二突せ申候、有馬御陳の節、歩御使番相勤罷越、其後宗像清兵衛切腹仕せ、魚住杢之允刀脇差を出せ、貸家ニ入可申旨、山本三左衛門と権兵衛ニ被仰付、首尾能仕舞申候、明暦二年病死 (綿考輯録・巻五)
武勇伝の多い権兵衛の二男が、松山ニ郎太夫(室・狩野家女)。
権兵衛より早く死に、その嫡男は狩野家を継いだ。
相国寺 京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺院。山号を万年山と称し、詳しくは「万年山相国承天禅寺」と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山は夢窓疎石である。足利将軍家や伏見宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第2位に列せられている。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧周文や雪舟は相国寺の出身である。また、京都の観光名所として著名な金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)は、相国寺の境外塔頭(けいがいたっちゅう)である。
(ウィキペディアより引用) ja.wikipedia.org/wiki/相国寺
相国寺首座なりしか、還俗して丹後の町人になり居候、総て律義もの成故、今度(田邊城籠城)も致籠城首尾よかりしとて、豊前にて千五百石被下、町奉行被仰付、飯岡豊前(後・誅伐)と相役也 (綿孝輯録・巻五)
2、松山兵左衛門・元直
忠興君の御供仕、高麗陳岐阜にても武功あり、豊前にて病死、其節貯置候銀五十貫目、刀一腰嫡子権兵衛より差上げ候よし、兵左衛門は元若狭侍也、丹後にて三百石、豊前にて六百石 (綿考輯録・巻五--加納曲斎項)
(忠利)愛宕山下坊にて御学文の折り「御附被仰付候」(綿孝輯録・巻二十八)
原城にて武功之面々御褒美被下候--黄金一枚袷単物帷子五宛(綿考輯録・巻四十九)
御暇被遺候 承応二年十月
3、松山権兵衛・重之(元重)
兵左衛門子也、忠興君福智山ニ御取懸被成候節、生野にて御目見仕候へは、いまた御目見も不仕候付、御扶持も不被下候処、此節奇特ニ籠城(田邊城籠城)仕、手柄之御奉公仕候、殊ニ敵つきの櫓を持候而、日夜骨折候段、具ニ被聞召候、日比御扶持被遺、御留守被仰付候もの共さまをくゝり候事、不及是非旨、御意被成候、豊前ニ而御知行三百石被下候、小倉ニ而遠坂越後家来女を連走り候を、黒崎口の人留の者、謀候て外町迄連参候処、篠崎の御侍不残外町江出候へは、右越後家来女をきり殺し候而、切てかゝり候を、権兵衛仕留申候、又小倉にて加々山次左衛門御成敗之節、田中兵庫座敷内にて、密に可仕旨被仰付、則座敷内ニ呼入、手籠ニ仕、兵庫も次左衛門手を取すくめ候而、佐田五郎左衛門二突せ申候、有馬御陳の節、歩御使番相勤罷越、其後宗像清兵衛切腹仕せ、魚住杢之允刀脇差を出せ、貸家ニ入可申旨、山本三左衛門と権兵衛ニ被仰付、首尾能仕舞申候、明暦二年病死 (綿考輯録・巻五)
武勇伝の多い権兵衛の二男が、松山ニ郎太夫(室・狩野家女)。
権兵衛より早く死に、その嫡男は狩野家を継いだ。
相国寺 京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺院。山号を万年山と称し、詳しくは「万年山相国承天禅寺」と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山は夢窓疎石である。足利将軍家や伏見宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第2位に列せられている。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧周文や雪舟は相国寺の出身である。また、京都の観光名所として著名な金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)は、相国寺の境外塔頭(けいがいたっちゅう)である。
(ウィキペディアより引用) ja.wikipedia.org/wiki/相国寺