津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

不謹慎なCM

2008-02-01 15:02:23 | 徒然
 熊本県出身の上田・有田のお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」が出演する地元酒造会社(高橋酒造)のCMが、3月に知事選があることから打ち切られた。米焼酎「しろ」のCMで、上田さんが「本気で政治家を目指そうと思う。県知事選に出馬する」と有田さんに相談。有田さんが説得して上田さんも翻意するが、直後に有田さんが県知事選に出馬宣言するという内容。(Yahooニュースから)
 宮崎の東国原氏の活躍を意識しての、クスッと笑わせる面白いCMだと思っていたが、会社の「不謹慎かもしれない」という自主判断だというから仕方がない。私はそれ以前から冗談で「上田さん出馬したら」と言っていた男だから、このCMが流れた時は吃驚したものだが、ちょっと楽しませてもらった。次はどんなCMが出てくるのか、期待しよう。知事選よりも楽しみかもしれない・・・(こっちのほうが不謹慎だ)

 20年前の「おげんきですか~」という、井上陽水のCMを思い出した。天皇陛下のご病気で、それこそ「不謹慎だろう」というわけで取りやめられた事があった。そして改元(1/8日)されて・・・平成の御世ももう20年だ。はやいなー、歳を取るわけだよ・・・

 
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風呂の振舞

2008-02-01 13:48:22 | 歴史
 松井興長という人は、えらい人だ。小倉城松之丸詰めの人限定ではあるが、風呂の振舞いをしたことが「日帳」に記されている。「日帳」は寛永元年八月のものから活字化されているが、振舞いのことは八月廿三日が初見である。その後度々同様の記事が見える。当時は現在のように湯船にどっぽり身体を浸すという習慣はない。行水が主流の世の中で、いわゆる銭湯といったものも蒸気を利用した蒸し風呂であったようだ。男は下帯、女は腰巻をつけたという。浴衣とか風呂敷などはその名残だとされる。振舞いの風呂が何所にあり、どのような形式の風呂であったのかは定かではないが、大変ありがたい事であったろう。銭湯が世に出たのは天正十八年とされ建築史上確かなものであるが、小倉藩日帳には「風呂屋田兵衛曲事之有・・追放」という記事が見えるから、豊前小倉に於いても寛永期には風呂屋が存在した事が分かる。史料を探し出す事が出来ないでいるが、小倉に於いて忠興が風呂釜を鋳造させていた記録が残されている。流石に殿様はお湯を満々と張って、入浴されたのだろう。随分以前のブログで、家臣たちの湯治の申請をご紹介したことがあるが、これは将に病気治療のものである。全ての申請書には、「どこどこが悪い故」と記されている。風呂桶が出回った後もお湯の量は半分ほどで、腰湯状態であったようだ。落とし湯は畑にまかれたそうだが、「垢や油」が肥料になるとして、水を替えず何回もそのままの状態で涌かして入浴したとされる。(出典・建築もののはじめ考)。身震いがするような話ではある。「細川家史料」をよむと、光尚が淋病に罹り、江戸では肥前瘡が流行などという記述が見えるが、衛生状態故の話しであろう。現代に生まれてよかった。
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永青文庫

2008-02-01 11:14:57 | 徒然
 久しぶりに「福岡県史・近世資料編--細川小倉藩」を取り出して読んでいる。「大日本近世史料・細川家史料」と読み合わせるためだ。「日本の古本屋」を通じて東京の某古書店から購入したものだが、購入後すぐ箱から取り出してカバーをかけた。
 昨日の事、本を取り落としたさいカバーが外れてしまった。そして改めてカバーを掛けようとしてとして、ぎょっとしてしまった。なんと「永青文庫」という判が押されてある。調べてみると三巻の内の一巻のみである。ナンバーリングで 2.11.19 という日付が押されている。発行日が平成2年3月31日だから購入日であろうか。詳しく眺めていたら、まったく違う頁に 1032 とある。永青文庫の蔵書であった事は間違い無さそうだ。
 どうしたものか頭を抱えてしまった。古書籍店の名前も覚えていない。永青文庫は図書館ではないから本の貸し出しはしていないだろうし、どういうことだろうか。古書籍店は気がついていなかったのだろうか・・・。

 永青文庫に連絡を入れようかとも思うが、「これも縁だ」と思って手元の置こうかとも思い逡巡している。
コメント (3)
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