わがサイトを立ち上げた時、一番にクレームがついたのが九曜の紋についてである。細川家ご一族の某氏からのご指摘であった。当時私は細川九曜紋が、一般の九曜紋とは別物であることさえ知らなかった。お恥ずかしい次第である。細川宗孝公が江戸城内で、寄合板倉修理から切り付けられ不慮の死を遂げることになるが、その原因になったのが家紋である。板倉家の家紋と九曜の紋が似通っていて、見間違ったことによるとされる。以降「細川九曜紋」が誕生している。そういう意味では特別な家紋ということが出来る。
最近、家紋に関するお尋ねが二三続いた。細川家家臣の家紋については、「肥陽諸士鑑」に詳しいが、私の家の様に記載がない家もある。また分家筋のお宅などは、家紋を新にされるお宅もある。家紋からご先祖様をたどるのも中々難しい。
「肥陽諸士鑑」に記載ある家紋を、一時期侍帳に表示しようとがんばってみたが、紋帳に認められる家紋は意外に少なく断念してしまった。複雑にアレンジされたものが多い。我が家の「隅入り角立鼓紋」も同様である。幸いにも「家紋印判」が残されていて有難く思っている。お墓を調べて回る際写真をとっているが、これとて僅かの数で表示するのはどうやら不可能なようだ。しかし興味が尽きないのも家紋である。
最近、家紋に関するお尋ねが二三続いた。細川家家臣の家紋については、「肥陽諸士鑑」に詳しいが、私の家の様に記載がない家もある。また分家筋のお宅などは、家紋を新にされるお宅もある。家紋からご先祖様をたどるのも中々難しい。
「肥陽諸士鑑」に記載ある家紋を、一時期侍帳に表示しようとがんばってみたが、紋帳に認められる家紋は意外に少なく断念してしまった。複雑にアレンジされたものが多い。我が家の「隅入り角立鼓紋」も同様である。幸いにも「家紋印判」が残されていて有難く思っている。お墓を調べて回る際写真をとっているが、これとて僅かの数で表示するのはどうやら不可能なようだ。しかし興味が尽きないのも家紋である。