其外後陳ハ段々に引てはや城外に出たるも有、当手の士卒も心々に令を守て屏下をくたるも有、又左右に事よせて見合するも有、城中ハ寄手の諸勢攻口を甘るを見て自然と防二も怠候哉、漸に矢石も間遠二有之候、寄之ハ未不退、内外の様子を見計り居候に、今そよき乗塩と思ひけれハ、再拝を振て太鼓をすゝめ、一きほひに乗取れと下知をなし候へハ、屏に着居たる諸士あらたに勇気を生し、引おろしたる面々も劣らしと取てかへし、我先と攻上り候、中にも益田弥一右衛門正景東の石垣より上らんとせしに、石にて冑の立物を打折られ候へとも、なをも石垣を攀て南の方海手のすミに至り、江戸浪人岡本八左衛門・後藤杢右衛門と一所に挊、一番に屏を越城中に入る、益田か差物ハ紺の一本しなひに大なる角取紙を出しにしたるか、後陳よりよく見へ台使も早く御見とめ候なり、自是先蓮池の上平より海手の角と升形の間をハ、長谷川仁左衛門・寺本八左衛門・清田又右衛門等か鉄炮にてきひしく打しらめ、前に山田・河喜多等石垣きわ一間はかりニ蹈詰、もはや乗込へきと申候へとも、今一塩打立可申とて夥敷うたせ、仁左衛門手をふり候と其まゝ河喜多九大夫・山田新九郎乗込、早水市郎兵衛・津川四郎右衛門等も同時に乗こミ、平野太郎四郎も乗込候、海手の角より弐間程の南の方をハ都甲太兵衛・池永源大夫・後藤権右衛門等ミつから鉄炮を打、敵引候様子之処、都甲か着居たる場に塀裏より鑓を出し候間、直ニ其鑓を取て城内に付入候へハ 一ニ太兵衛ハ塀のやふれより乗入 、池永・後藤見事々々と詞をかけ一同に乗込、都甲ハ其まゝ敵をきりふせ候処、切支丹共大勢鑓ニ而投突いたし候を、壱人もやるましと声を懸、追ちらし右きりふせたる者の首を取ル、是本丸にての一番首と也、最初鉄炮にて打殺したる者の首と共ニ二ツ御本陳ニ持参仕候而、海手の角一番乗の事をも申上候へハ、御覧被成候との御意也
右益田以下の面々いつれも一番乗と称し候、興津九郎兵衛益田に不劣乗込候処、石垣の上ニ而討死いたし候 妻子無之家断絶 、江口弥左衛門も御旗本より御使に来り、直ニ海手犬走に着、弓にて賊弐人射落し候時、いつれもすゝむ体を見て早く乗込、一番乗と称し候、軽卒には長谷川仁左衛門組山内五兵衛・寺尾左助組平井十兵衛 一ニ甚兵衛 ・高橋九左衛門組岩尾牧右衛門 一ニ数右衛門 ・都甲太兵衛甥斎藤少蔵 此四人二ノ丸にても都甲差図いたし、小屋々々に火矢打つけ通り、本丸にても焼立、廿八日朝も火矢打付候由 、其外品川六兵衛・河村猪右衛門・真下九兵衛 嶋又左衛門与 ・志賀安之允 真下喜左衛門与 ・村上太左衛門 寺本与 ・加藤安大夫 寺本久太郎与 ・早水忠兵衛 台所方 ・塩津与三左衛門 職人奉行 等も不劣乗込む、益田弥一右衛門ハ乗入と直に鑓を合、敵を討捨、同甥岡本伝十郎 後広瀬杢之助養子、広瀬安右衛門と改む つゝゐて乗込、城中の小屋に火を放し、益田か家来山下勘右衛門・鑓持甚右衛門も 一ニ山本勘右衛門千手甚右衛門と有 乗込、敵三人討取、岡本も鑓を合首を取、津川四郎右衛門も一揆立向ひ候を討捨候
右益田以下の面々いつれも一番乗と称し候、興津九郎兵衛益田に不劣乗込候処、石垣の上ニ而討死いたし候 妻子無之家断絶 、江口弥左衛門も御旗本より御使に来り、直ニ海手犬走に着、弓にて賊弐人射落し候時、いつれもすゝむ体を見て早く乗込、一番乗と称し候、軽卒には長谷川仁左衛門組山内五兵衛・寺尾左助組平井十兵衛 一ニ甚兵衛 ・高橋九左衛門組岩尾牧右衛門 一ニ数右衛門 ・都甲太兵衛甥斎藤少蔵 此四人二ノ丸にても都甲差図いたし、小屋々々に火矢打つけ通り、本丸にても焼立、廿八日朝も火矢打付候由 、其外品川六兵衛・河村猪右衛門・真下九兵衛 嶋又左衛門与 ・志賀安之允 真下喜左衛門与 ・村上太左衛門 寺本与 ・加藤安大夫 寺本久太郎与 ・早水忠兵衛 台所方 ・塩津与三左衛門 職人奉行 等も不劣乗込む、益田弥一右衛門ハ乗入と直に鑓を合、敵を討捨、同甥岡本伝十郎 後広瀬杢之助養子、広瀬安右衛門と改む つゝゐて乗込、城中の小屋に火を放し、益田か家来山下勘右衛門・鑓持甚右衛門も 一ニ山本勘右衛門千手甚右衛門と有 乗込、敵三人討取、岡本も鑓を合首を取、津川四郎右衛門も一揆立向ひ候を討捨候