津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

5/23 再放送

2010-05-19 18:03:42 | 徒然
 5/16のNHK「日曜美術館」で、「大名家とアート-細川家の4人の殿様-」が放映されたそうだが残念ながら見逃してしまった。再放送が5/23 午後8:00~9:00にあるのだが「龍馬傳」と重なっている。忘れずに録画しなければ成らない。
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ガラシャ夫人の幼名

2010-05-19 11:09:08 | 歴史
 ガラシャ夫人の御名は通常「玉」とされる。
昨日ご紹介した明智左馬之助流の三宅家の「明智系図」によると
幼名 「春子」 と書かれていた。「玉」へと改められた時期ははっきりしない。
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細川家譜--細川韶邦譜 ・・ 15

2010-05-19 10:33:28 | 細川家譜

護久西京ニ在テ脚気ノ病ヲ發シ國許温泉入治願ニ依テ百日ノ暇ヲ賜リ四月十二日京師ヲ發シ歸國京師ニハ重臣且兵隊ヲ留メテ守護ヲ命スト雖共尚安ンセス護美ヲシテ代テ上京セシム 護美五月十八日軍務官副知事免セラレ同日護久ニ代テ熊本ヲ發シ十四日西京到着次テ桂御所警衛命セラル

五月護美参與職免セラレ出仕ノ節麝香間衹候ノ思召旨ニテ直垂一領及ヒ鞍鐙ヲ賜ル

是月祭政一致皇道復興及ヒ蝦夷開拓ノ勅問アリ韶邦謹テ奉對シテ曰天祖以来固有ノ皇道ヲ復興スル聖慮アツテ其施為ノ方ヲ群下ニ諮詢シ玉フ 朝廷ノ言爰ニ及フ誠ニ社稷ノ大幸萬民ノ洪福何ヲ以テ之ニ加ン 臣■ク此の明詔ヲ讀テ抃躍ニ堪ス 士庶亦感泣奮勵スト聞ク是天下人心摩滅スヘカラス善ニ嚮フ影響ヨリ疾キ所以ナリ苟モ此明詔の盛意ヲ推擴セハ天下何ソ治ルニ足ラン 四夷何ソ御スルニ足ラン然モ竊惟古語云有始有終者其惟聖人乎又云莫不有始鮮能有終伏望 朝廷ノ此言始終不渝永世不朽能ク中興ノ鴻基ヲ建ラレ之ヲ千萬年ニ傳へ玉ン事ヲ夫往古皇道隆盛ニシテ徳化宏遠君臣上下ノ分定テ大義天下ニ昭々タリ其故他ナシ三器ノ訓ニ基キ上一邪ヲ容レス一姦ヲ蓄ヘス 清明純■ニシテ天下ヲ照臨ス 依之天下ノ朝廷ヲ仰貴フ事神明ノ如シ 迨應神天皇朝始テ漢土ノ経籍ヲ資用而天祖ノ彛訓ヲ助成シ人倫益修大義益明其後二至テ巫覡浮屠陋儒俗學ノ説アリテ大ニ正教ヲ乱ル徒是以降皇道漸廢人倫漸壊ル 加之近世ニ至テハ西洋耶蘓天主ノ邪教屡人心ヲ蠱惑ス 皇道ノ厄勝テ歎スヘケンヤ今也之ヲ更張セントス 實ニ千載ノ一時ナリ其功効ニ至テハ歳月ヲ積テ見ルヘシ 瞬息ノ期スヘキ二非ス 要之先ツ廟堂ノ清粛シ邪説ヲ斥遠シ洋風ヲ禁絶シ凡事祖宗ノ遣意ニ基キ再ヒ神聖ノ大道ヲ掲明シ猶鏡ノ塵ヲ掃ヒ垢ヲ去テ明光ノ遠ヲ照スカ如ク皇道ヲ明ニセントスルハ則他ノ方ナシ唯外誘左道ノ汚レヲ除ニ在リ然シテ祭政一致ノ理ヲ示ス是又朝廷先ンシテ之ヲ行玉フへシ 今其日良辰ヲ擇ヒ天祖大祖ノ神ヲ廟堂ニ亨シ新タニ際祀ノ盛典ヲ擧ケ此日ニ於テ群臣諸侯ヲ會シテ同心協力大ニ皇道ヲ興起シ外誘ヲ攘除スルヲ以テ神明ニ誓ヒ若シ此誓ヲ渝へ姦ヲ行ヒ非ヲ為ル共ハ則神明ノ罰アルヲ祝ス 是二於テ事天祀先反始報本ノ義始テ見ル施為ノ要件ノ如キハ一ニハ伊勢ノ神廟ヲ崇祀シ諸國ノ淫祠ヲ毀チテ遥拝所トシ人々ヲシテ神ヲ敬スルノ意ヲ知ラシム 二ニハ天下府藩縣ヲシテ大小學校ヲ建設シテ皇道ヲ講明シ倫理ヲ脩治須 三ニハ皇子親王ノ緇流桑門ニ入ル人ヲシテ盡ク還俗シ皇流ノ貴キ佛ニ侫セラルヲ示ス 四ニハ天下ノ佛寺漸ヲ以テ合併シ僧侶漸ヲ以沙汰シ人民ヲシテ遂ニ佛説ノ憑ムニ足サルヲ知ラシム 五ニハ兵隊ヲ除クノ外洋服ヲ着シ洋冠ヲ戴キ被髪脱剣スルモノ之ヲ禁シ技藝器械彼ノ所長ヲ取ル而己政教制度ニ至リテハ一切模倣セサルヲ示ス 如此ナレハ則本末粗定ル 積累不怠弥久不變は皇道ノ古ニ復ス遠キ二非ス 然ト雖共所謂神而明之在人又其人存其政擧ト云ヘル如クナラスメ苟モ官其人ヲ得サルトキハ事行レサル而己ナラス 宋ノ王欽若王安石カ古道ヲ復スルヲ口實トシテ奸ヲ呈スル如ク徒ニ害アツテ益ナシ 仰願クハ朝廷樞要ノ地ニハ皇道ノ真ニ可貴國体ノ實ニ可崇ヲ知リ功利外誘ニ迷溺セラル 大器ノ人ヲ用ヒ玉フトキハ皇道ノ振起為シ難カラス 皇道ノ深意施為布置ノ密ナルニ至リテハ下問日迫リ且臣カ浅漏敢テ識ル所二非尚再問ヲ賜ハゝ國論ヲ凝シ詳明献言スヘシ 又蝦夷地ヲ開拓教導スル方法謹テ惟ルニ臣西陬ニ生レ最モ東北ノ形勢ニ暗シ只地圖等ヲ以テ按スルニ蝦夷は本邦ノ北門宜シク鎖鑰ヲ厳ニシ經界ヲ廣メ皇化ヲ布ク可シ 一旦之ヲ外國ノ有トス所所謂唇晝歯寒ニ至ル 防澂杜漸ノ策ナカルへカラサルハ論ヲ待タス 然レトモ歯唇ノ患未タ人ヲ殺スニ至ラス 今腹心ノ患アリ之ヲ忽ニシテ薬石ヲ下サゝルトキハ忽身ヲ斃ス速ニ之ヲ救ハサル可ラス 其故何ソヤ抑外国人入港以来既ニ十六七年舊幕失措ヨリシテ猖獗日復一日其患今日ニ遣セリ 然ルニ今未タ貿易互市ノ規則立タス逋債ノ數累巨萬彼ノ富強愈大我ノ国威益墜今ニシテ逋債ヲ償ヒ國體ヲ張ラスンハ其極遂ニ国内ノ土地ヲ割テ謝スルニ至ラン外夷蝦夷ノ得失ニ比スレハ其軽重如何ンソヤ臣因テ窃ニ考先ツ内地ノ患ヲ救ハスンハ蝦夷地ノ開拓畫餅ニ属ス 宜シク速似逋債ヲ返スノ策ヲ講シ外国交際上彼此主客ノ分ヲ明ニシ互市通信ノ規律ヲ定メ是非ヲ計較シ我ノ非と曲トノ如キハ断然陳謝シ向来ノ條約ヲ新定シ永ク通信ヲ保ツ可ラシム 如此シテ始テ稍腹心ノ患を免ル 然ル後蝦夷開拓ニ手ヲ下ス何ソ晩カラン 若夫蝦夷ヲ開拓スルニハ先ツ險要ノ地ヲ澤ヒ帥府ヲ建置シ智勇恩威アル人ヲ督帥トシ四方ヲ率制経略シテ境界ヲ廣ム 且ツ本邦無籍ノ民及ヒ卑賤無産之者地ニ移住セシメ漸ゝ開墾シ人畜ヲ蕃殖シ又有罪ノ人アルトキハ時宜ニ因テ彼地ニ配徒數年ノ後ヲ待ハ或ハ版籍貢賦アルニ至ラン 詳細ノ事ハ彼地ヲ履歴スルモノヲ集メテ議セシメテ可ナリ 

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