津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

こんなものが有りました・・?

2010-05-03 19:53:07 | 徒然
■★$1紙幣★戦国武将 家紋 細川幽斎  1,000円
■ローマ字印!〔細川三斎 書幅〕掛軸 古文書古筆 戦国大名 茶の湯  1,300円
        これ本物だったら安すぎる・・
■細川護熙「刷毛目茶碗」共箱入り  81,000円
■細川護熙「粉引ぐい呑」・「種子島ぐい呑」共箱入り  16,500円
        もうこんな所に売りに出されて・・??
■「非常の才 細川重賢」肥後熊本藩六代藩主 加来耕三著  740円
■「室町幕府管領細川家と讃岐香川氏~村岡家系図の検討」中世戦国  6,000円
■前田青邨「細川ガラシア夫人」・オフセット複製・額入り 2,490円
■目の眼1985徳川家細川家が語る世界が求める日本の美とは  500円
■三浦綾子 帯付細川ガラシャ夫人昭和53年当時980円  680円
■想出の人々・揮塵憶往録 細川護貞  500円
■細川幽斎 細川護貞 中公文庫 800円
■貴理至端之精華 伽羅奢細川玉子夫人 7,500円 
        (参考:生誕400年記念 熊本女子短大教授/宮島真一著)
■細川ガラシア夫人 聖列への祈りをこめて 近藤マサ著 5,000円
■細川幽斎と明智光秀 本能寺の変 歴史読本 平成12年8月号 520円
■立花大亀・細川護貞監修「茶室」全二巻  10,000円
■* 消息 * 細川幽斎法印 杉箱 [掛軸]  200,000円
        こんなものがでるんですね~
■細川霊感公 著:宇野東風  10,000円
        この本は私も持っていますが、こんなに高いとはびっくり・・「日本の古本屋」で調べたら
          熊本の古書籍店「舒文堂河島書店」でやはり10,000円と出ていました。

■魚雁集 細川家に残っている手紙 細川護貞 品切 信長 秀吉 家康  1,200円
■「五周年記念 細川護煕の作陶展」茶道資料館、平成17年 4,980円
■絶版『戦国細川一族―細川忠興と長岡与五郎興秋』(細川幽斎)  4,800円

 Yahooオークションで「細川」と検索すると、2246件がヒットしますが「細川ふみえ」と「細川たかし」が殆んどでがっくりしてしまいます。それでも根気よくチェックすると面白いものがいろいろ出てきました。実は未だ手元には届いていませんが、スミソニアン博物館で開かれた永青文庫の展覧会の冊子をゲットしました。他にも一・二点入札していますが、さてどうなりますか・・・
興味有るものをピックアップしてみました。(GWは暇でしようが有りません・・・)



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細川家譜--細川齊護譜 ・・ 3 (了)

2010-05-03 08:25:31 | 細川家譜

(安政)五年戊午五月諸侯ニ令シテ云 亜墨利加條約一條 勅答ノ為閣老堀田備中守上京ノ處勅問書ヲ賜ハル其旨趣墨夷ノ事ハ神州ノ大患國家ノ安危ニ係リ誠ニ容易ナラス神宮始メ奉リ御代々ニ對セラレ恐多思召サレ随テ東照宮以来ノ良法變革ハ闔國人心ノ歸嚮ニモ■(扌ニ匂)リ永世ノ安全量リ難ク叡慮ヲ悩サル 尤往年下田開港ノ條約容易ナラサル上今度假條約ノ趣ニテハ國威立難ク且諸臣ノ群議モ今度ノ條々ハ國體ニ■リ後患者測リ難キヨシ言上セリ 故ニ尚三家以下諸侯ヘモ命ヲ下シ再應衆議ノ上言上スヘキ旨ト勅諚ニテ素ヨリ戦争ノ叡慮ニハ非ストナリ 依之備中守江戸へ歸リ墨ノ使節ヲ招キ毎々談判セル條約ノ筒條直ニ施難ハ兼テ云ル如ク人心ノ居合兼ル處ニテ此等深ク叡慮ヲ悩サル趣巨細諭シケレ共一旦双方談判を整ヘテ後人心ノ居合等ニテ拒絶スルハ萬國ニ無之ノミナラス史書ニモ嘗テ見サル處ナリ抔申募テ承諾セス於是備中守猶諭セルニハ委細ノ事情両三日ヲ経其掛リノ役員ヲ以テ告ント使節漸ク諾シテ退ク 因テ各思慮スル所アラハ建言スヘキ旨幕令アリ 齊護権限ノ趣意左ノ如シ 方今渠ニ接スル策略寛急両端アリ 一時ノ小憤ヲ忍スメ俄ニ交情ヲ絶トキハ不日ニ兵端ヲ開ン防禦ノ手當如何又暫ク事ヲ寛ニシテ防禦ノ手當十分整フトキハ萬全ノ大謀アランカ實ニ生民塗炭ノ機二臨メリ 夫東照公以来ノ舊典ハ萬古不易ニシテ革ラシ難ケレ共近十年外洋各國ノ形勢變革ニ随ヒ愾艦ノ如キ物發明シテ航海ノ術益開ケ天涯モ比隣ノ如ク加之軍制兵器等各國實戦ニ試ミテ妙ヲ盡シ且強弱モ往古ト勢ヲ異ニシ異人ハ禽獣ノ如ク卑シメ来ルト雖共今ヤ各國往々非常ノ人才出テ強大ノ國ト成リ世界中割據ノ勢ヲ振へリ而メ我皇国ノ武威素ヨリ渠ニ敵スヘシト雖共二百餘年ノ大平鎖國中渠カ一變ヲ量察セス 只我古ノ強ヲ頼未今茲ニ容易ニ兵端ヲ開カハ後害如何ソヤ縦令渠強國タリ共一國ナラハ防禦難キ二モ非サレ共渠同盟合従シテ皇国ノ沿海ニ隠見出没シ或ハ海岸ノ不虞ヲ襲ヒ或ハ海路ノ運漕ヲ絶ハ我ハ渠ニ應スル軍器軍艦ニ乏シテ只東西奔命ニ労ルゝノミサレハ我労シ渠逸ス 譬ハ一小國ヲ以テ世界中ノ強国ト常ニ對陳スルニ均シ縦令一時ノ勝利ヲ得トモ竟ニハ國力疲弊シテ自ラ殪ルゝニ近カランカ寔ニ容易ナラサル一大事件ナリ 此節止ヲ得サル時機二テ外関港貿易ヲ起サハ内ニハ政典ヲ大變革シテ治世ノ華美驕奢駁雑無益ノ幣風等断然改メラレ一統ノ耳目ヲ一新シ簡易無造作ノ古風ニ復シテ上下一致専ラ軍事ニ身ヲ委子富国ノ基ヲ立テ彼ヲ知リ己ヲ知ルノ理ヲ擴メ渠カ實戦ニ嘗ル所ノ軍制兵器大艦等ハ深ク之ヲ研究シ我固有ノ長所ヲ合セテ而後渠カ無禮ヲ數へ之ヲ攘フ勢ニ成ラハ我武威益全世界中ニ輝カン而己

十一月二十三日位階従四位上ニ叙セラル

萬延元年庚申正月齊護致仕シテ家督ヲ嫡子慶順 後韶邦ト改ム ニ譲ラン事ヲ乞幕府許サス 然共病癒サルヲ以而二月ニ至リ猶乞ケレハ格別ノ年輩ト云ニモ非ス病ハ療養ヲ加へ気宇爽カナル時出仕シ心永ニナスヘキトノ懇諭アリ 故ニ止ヲ得ス姑ク止リ滞府シテ慶順ヲ本藩ニ遣シ國政ヲ監セシム
【井伊大老襲撃犯を預る】
三月三日早朝士四人我龍口邸内ニ趨来案内ヲ乞 廣間番大嶋五郎八ナル者應接ス 彼云我輩ハ水藩大関和七郎・森五六郎・杉山彌一郎・森山繁之助ト云者ナリ同類都合十七人相謀リ今朝外櫻田二於テ大老井伊掃部頭登城セントスル途中ノ行列ニ斬入リ掃部部首ヲ討テ己ニ素懐ヲ遂ト雖共敵ト合戦ノ混雑ニテ同類散乱シ各其在ル所ヲ知ラス殊ニ我済始テ都下ニ出テ南北モ辨セサレハ貴邸モ亦誰ノ侯ナルヲ知ラサルナリ 今素懐ヲ達セシ上ハ謹テ公裁ヲ俟ノ外他ノ念ナシ 伏テ乞貴邸ノ周旋ヲ煩ハサン事ヲ言語爽然神色自若トシテ衣裳血ニ塗レ其内三人ハ處所創ヲ被レリ 齊護之ヲ聞テ家臣等ヲシテ座敷ニ延キ座着セシメ且番衛厳ニシテ此旨幕府へ達シ水戸邸ヘモ告タリ 其夕大関等四人ノ外同類黒澤忠三郎・蓮他市五郎・齋藤監物・佐野竹之助四人ノ者モ預ケラルゝノ令アリ 此黒澤等四人ハ今朝ノ一擧後脇坂邸ニ奔テ自訴ス 依テ物頭銃卒ヲ率テ脇坂邸ニ赴キ 此トキ佐野竹之助ハ創ニ因テ死ス 黒澤等三人ヲ受取邸内ニ別室ヲ設テ七人ヲ茲ニ居ラシム サテ彼七人ハ孰モ井伊家不天ノ讐ナレハ何時迫リ来テ報復ノ擧動アランモ計リ難ク又評定所へ往来ノ途中ヲ妨ンモ計リ知ルへカラス 然ルニ必死ヲ以テ之ヲ拒マハ井伊細川両家ノ混乱ヲ生センモ測リ難シ 依之七人ハ幕府ニ呼取ラレ處置アラン事ヲ閣老内藤紀伊守ニ訴へケレハ三月八日大関以下一二人宛所々ノ侯邸へ分布シテ預ケラレタリ

四月十七日齊護卒ス年五十七
                         (了)

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