津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家譜--細川韶邦譜 ・・ 6

2010-05-09 17:06:45 | 細川家譜

慶應二年丙寅四月世體遂日變化長防ノ處置モ十分ノ成功必ツヘカラス 會外夷ヨリハ兵庫開港ノ事ヲ要ム或ハ流言ス 将軍進退困窮セハ必ス蒸気舩ヨリ東歸ノ計ニ出ント天下匈々タリ 於是廿三日家老平野九郎右衛門ヲシテ書を齎ラシ 大坂ニ往テ将軍ニ獻言セシメテ曰ク逐年世上益穏ナラス 内外疑惑疎隔ノ向モ有之ヤノ由如此ハ猶更誠意ヲ以テ待遇セラレ賢方任用ハ云ニ及ハス 其餘材能ノ者ハ其器ノ長短ニ随ヒ國家経営ノ具ニ加ヘラレ賞罰黜陟皆公平至當ニ出ナハ假令風化ヲ礙スル者アルモ自然ト順路ニ歸シ上下一般ニ方向シ愈以テ朝幕一和士民安堵ノ地ニ至ルヘシ 若又本根ヲ堅メラレス唯威光ヲ以テ萬般ノ指揮アラハ列藩益危疑ヲ抱キ人心内ニ背キ士氣外ニ挫キ遂ニハ分崩割據モ測リ難シ 又云幕下數萬ノ大軍數百日ノ在営ナレハ望郷ノ念ナキ事能ナサルへシ 此際ニ臨ミ将軍或ハ東歸アランカト人々危疑ヲ抱ケリ之ニ因テ窃ニ帷フ 今日ノ急務ハ人心ヲ定メラルゝニアリ人心ヲ定メラルゝハ疑惑ヲ解カルゝニアリ疑惑ヲ解カルゝハ事實ヲ示サルゝ外有へカラス サレハ人心一定スルマテハ幾年ニテモ滞坂ノ處ニ確定セラレ速ニ其實跡ヲ表セラルへシ 又云昨年十月兵庫開港ハ止メラルゝ旨勅セラレ外夷異議ナク承服退帆セシト聞ク 然ルニ彼等相替ラス開港セント欲スル由右羽一時機権ノ策略にて許容セラレタルカサレ共朝意ニ違却セン措置有テハ後末ノ禍害是ヨリ醸成スヘケレハ速ニ明白至當ノ處置アラセラレ度ヨシ五月十一日板倉伊賀守旅館ニ就テ呈上ス 其後伊賀守ヨリ第一條賢方任用ノ事何モ建言ノ通リタルへシ然共一時施行シ難シ緩急ヲ計リ漸ヲ以テ施サルヘシ 第二條浪花滞城ノ儀ハ滞在ニ内決シ長防ノ一擧事終ラハ関東人數交番セシムル筈ノ由 第三條開港ノ事ハ萬々破約ニ相成タル趣返答有テ建白書ハ直ニ台聴ニ達シケルニ将軍満足依頼セラレ以徃モ聊伏蔵ナク建言アルヘシトノ台諭此旨韶邦ニ傳フヘシト演達アリ
長州父子伏罪疑惑ノ件々大小監官ヲ以テ糾問セラレシニ愈恭順謹慎ノ趣ニ付處置ノ品奏聞セラレ裁許申渡シノタメ小笠原壱岐守出張ス 長州ニ於テ若違背ノ儀有之ハ速ニ進撃有ヘシ武備懈怠スヘカラサル旨幕命アリ 其後壱岐守ヨリ三末家并ニ吉川監物及ヒ本藩家老両人藝地ニ召ス然レ共疾病ヲ以テ名代家老ヲ出ス 且又本藩ノ家老完戸備後介及ヒ小田村素太郎ハ却テ不審ヲ蒙リ藝州へ預ラレ五月朔日壱岐守ヨリ三末家及ヒ吉川家老等ヲ召ヒ命ヲ聴シメテ曰ク大膳父子家政向不行届家来ノ者禁闕ニ暴發等ノ譯ヲ以テ拾萬石ヲ削リ大膳ハ蟄居隠居長門ハ永蟄居家督トシテ興丸ニ二十六萬九千四百石餘リヲ給ハリ家来右衛門介等ノ家名ハ永ク断絶タルへキ旨傳ヘラル 畢テ廿日ヲ限リ受書ヲ差出スヘキ旨演達アリケル由ノ處削地ノ一條長防闔國不平ヲ生シ奉命ニ至ラス是ヲ以テ吉川監物ヨリ猶廿九日迄ノ猶豫ヲ請フ 先是壱岐守ヨリ諸藩ニ告テ廿九日マテ受書差出サゝルトキハ断然問罪ノ師差向六月五日ヨリ總軍進撃スヘキ旨指揮アリ 既ニシテ三末家及ヒ監物ヨリ長防人氣愈沸騰シテ鎮定シ難キ旨ヲ以テ猶寛大ノ命ヲ請フト雖共裁許違背ノ上ハ問罪ノ師差向速ニ成功ヲ奏シ宸襟ヲ安シ奉ルヘシ討手ノ儀早々諸藩ニ達セヨトノ綸旨布告アリ 於是六月三日壱岐守九州ノ指揮トシテ小倉ニ至ル 此時壱岐守ヨリ長州へ示シ越ス書面ノ略ニ曰ク大膳父子恭順ニ付天幕ノ趣意ヲ以手裁許ノ命ヲ下セシニ期限マテ受書差出ササルノミナラス猶寛大ノ命ヲ請フ是マテモ至難ノ國情ヲ斟酌シ恩威両道ヲ以上テ國家ノ大典ヲ正サレケルニ終ニ天幕ノ命ヲ遵奉セス裁許違背不届至極ニ付問罪ノ師差向硬命ノ者ヲ誅鋤セラレ無辜ノ細民ハ妄ニ動ク勿レト右書面ヲ諸藩ヘモ示サレ愈以テ五日ヨリ進發致スヘキ旨指揮アリ
【細川家中小倉に出陣す】
是ニ依テ六日先ツ我藩一番手大隊長溝口蔵人二番手大隊長長岡監物各部下ヲ率テ小倉ニ發向セシム 蔵人既二小倉ニ至ルヤ壱岐守ヨリ速ニ進撃スヘキ旨沙汰アリケレ共諸藩ノ兵未タ至ラス敵ノ海岸ハ守備厳整ナリ僅一軍突入ス共何ノ益カアラン 願クハ軍議ヲ一定セラレ諸軍一齊ニ進入全勝ヲ期セント獻言シ陳ヲ廣壽山ニ居テ諸軍ノ至ルヲ待ツ
七月三日暁長州人下関臺場ヨリ大里ニ向ケテ砲撃シ遂ニ海ヲ渡テ大里ノ民屋ヲ焼ク 小倉勢防戦利アラスシテ敗走ス 蔵人此報ヲ聞キ親ラ赤坂ニ出張シ兵士ヲ部署シ陳ヲ固メテ待ケルニ敵来ラサリシ故兵ヲ置テ廣壽山ニ歸ル 先是長州人屢小倉領ニ来リ侵スヲ以テ壱岐守猶又蔵人ヲ召テ進撃ノ事ヲ議ス 蔵人ヨリ明日二番手總師長岡監物カ至ルヲ待テ議セント請フ 七月五日監物着営壱岐守ニ見ヘ其目的ヲ問フニ未タ成算モ有ル事ナシ依之監物モ此マゝ直ニ討入ヘカラサル事ヲ慮リ先ツ諸藩ノ出兵ヲ待テ指揮アラン事ヲ請フ 廿七日未明大里ニ當テ砲聲大ニ震フ 我軍之ヲ聞テ上富尾村大谷間道八丁坂弾正坂山臺場赤坂延命寺ノ諸所ニ次第ヲ以テ屯集シ各其営ヲ守ル時ニ長州人海ヲ渡テ大里ニ上陸シ馬寄新町ヲ放火す 小倉勢姑ク防戦遂ニ支ル事能ハスシテ引退ク 長州人新町口マテ進軍シ夫ヨリ兵ヲ岐シ一軍ハ鳥越八丁坂ニ向ヒ一軍ハ勝ニ乗リ小倉勢ノ後ヲ躡テ赤坂延命寺ノ営ニ寄セ来ル 此處ハ山腹ニテ海濱一方ニ臨ミ高塏ヲ占メ最要害ノ地ナリ 一番大砲隊平野宣太郎列之ヲ守リ敵兵我弾道ニ推シ来ルヲ待受テ拒馬砲ヲ連發ス 敵ノ隊列忽チ崩レ立テ山中深樹ノ間ニ繰込ミ頻リニ小銃ヲ放チ軍艦ヨリモ絶ヘス破裂丸ヲ發シ之ニ應援シテ我営ヲ一時ニ挫ントス 宣太郎親ラ先立チ一列ヲ勵シ海陸へ應砲ス 就中山手ノ防戦ヲ勵シケルカ敵進ミ来ルニ随テ拒馬砲ノ矢利キ宜キヲ計リ孰レモ爰ヲ専途ト奮撃シ日午ノ比ヒニ至リ敵過半ハ引退日テ鳥越ノ軍ニ加ル サレ共残ル敵ハ相替ラス進ミ来ル處ニ二蕃大砲隊中村四郎左衛門列馳セ加リ且ツ重士半隊田邊又助列モ暫ク應援ス 砲玉ハ十分ナリ生兵ノ力ヲ合テ夕刻待テ手強ク砲戦シケレハ敵ハ遂ニ引揚ノ躰ニ見ヘテ兵ヲ纏メケル處ニ大砲ヲ一發シテ中央ニ達ス 敵是カ為ニ斃ルゝ者少ナカラス 又八丁坂弾正山ニ向ヒタル敵ハ七時過ヨリ寄セ来ル一番大砲隊永嶺雲七列之ヲ守リ守備ノ厳重ナル二ヤ敵ハ内所道上ノ武蔵山ニ入リ鬨ヲ揚ケテ砲撃ス 我軍應砲拒戦最モ力ヲ盡シケルカ敵ハ地理ニ委シク山谷ノ嶮ヲ跋渉シ樹林ノ間ニ出没シテ小銃ヲ放チ軍艦ヨリハ破裂丸ヲ發シ海陸並ニ進ミ来テ必ス臺場ヲ攻抜カントシ必死ノ敵二十人計リ雨注ノ弾丸ヲ冐シテ臺下ニ逼リ来ル 砲手一齊ニ連發シテ之ヲ撃却ク 此前後二蕃大砲隊仁保達太郎列銃隊長吉住半右衛門渡邊善右衛門大里隼之助匂坂平右衛門木造左門金守彦十郎山野平八郎横井牛右衛門等追々ニ馳セ来リ各臺場最寄ノ地へ隊ヲ賦テ應援ス 時ニ敵海蔵庵ノ嶺上ニ押廻シ同所ヨリ眼下ニ見卸シ横矢ヲ撃ントスルノ形アリ 彦十郎之ヲ見テ斯テハ我臺場支ヘ難カルヘシトテ急ニ隊ヲ率テ海蔵庵ニ攀登リ偵ヒケルニ敵既ニ来テ潜伏シ戒心モ無キ躰ナレハ即チ鬨ヲ發シテ突出砲撃ス 敵不意ニ討レテ一戦モ不及坂下ニ散亂ス 彦十郎モ引續キ初ノ處ニ下リ来リ善右衛門列ト兵ヲ合テ敵ヲ防ク中ニモ左門平八郎両人隊ヲ抜ンテ先ニ進ミ縦横衆ヲ勵マシケル故皆々身命ヲ■テ相働ク處ニ平八郎砲玉ニ中ツテ斃ル 敵兵ヲ分テ大谷ノ間道ヲ襲フ此處ハ重士隊長澤村八之進銃隊長松村十之進山本喜八郎等既ニ其隘口ヲ扼シケレハ敵山ニ登テ砲數ス 我ヨリモ發砲相防キケル内重士隊長西山大衛須佐美源左衛門銃隊長佐分利又兵衛杉山理兵衛深野左十郎山路太左衛門等及ヒ小倉勢モ馳セ加リ手薄キ箇所々々ニ分布シテ應援ス 然ルニ敵は散兵ノ形ニテ或ハ樹蔭ニ隠レ或ハ匍匍シテ弾丸ヲ避ケ寸歩逼リ来テ間道ヲ破ントス 我軍益振フテ防戦ス殊ニ援兵ノ内拒馬砲ノ備アリテ大小砲ヲ擇ハス各死力ヲ盡シテ亂發シケレハ敵盡ク退散ス 八丁坂ノ方ハ敵猶退カス益激戦ノ趣ナレハ大谷ノ軍ヲ移シテ之ヲ救應ス此臺場ハ初ヨリ雲七并ニ浅香荘右衛門大砲小砲ノ打方ヲ初メ其身手ヲ下シ抜群相働一列モ非常ニ差入リ防戦ノ内大谷ノ援兵モ加リ愈力ヲ得テ互ニ玉薬ヲ惜マス打立ケレハ敵モ手叚ヲ盡シテ進撃スト雖共此口モ遂ニ破ル事能ハス夕五時過ニ至リ残リナク引揚タリ 之ニヨツ手諸方ノ持場モ皆兵ヲ収テ営ヲ守ル 今日ノ戦争早天ヨリ晩景ニ至リ何方モ強敵ヲ引受甚太危カリケルカ總師油断ナク斥候ヲ以テ寛急ヲ量リ閑地ノ守兵ヲ分テ力ヲ添へ又本陳ノ兵ヲ發テ急ヲ援ヒ其下知始末機會ニ投シ且戦地ニ於テハ上下一致比類ナキ働ニヨリ遂ニ勝利アル事ヲ得タリ
此日戦死七人山野平八郎・高橋作左衛門・野村虎太郎・田邊格太郎・濱治七郎平・麻生又次郎・安田猪八 手負八人松村十之進・緒方恒喜・尾藤新之丞・成瀬市次・大河原亀喜・岡本今彦・関勝助・松山兵蔵ナリ

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長州戦争

2010-05-09 11:59:16 | 書籍・読書

長州戦争 幕府瓦解への岐路

著者:野口武彦
出版社:中央公論新社・中公新書
販売価格:861円


【本の内容】
どんな戦争も後世へのメッセージを残している。長州戦争は徳川幕府の命取りとなった戦争である。勝利した長州藩は、後に『防長回天史』を編纂し、この戦争を明治維新への大きな一歩と位置づけた。しかし、幕府側はこの敗戦を総括するに至らず、敗戦の責任者すら明確ではない。幕府はなぜ戦争に踏み切り、どう戦って負けたのか。開戦前夜から敗戦処理までを克明に描き、長州戦争が現代に残したメッセージを読む。

【目次】
プロローグ 兵は凶器なり(長州戦争とは何か長州戦争の開戦事情 ほか)
第1章 長州が朝敵になるまで(航海遠略策と公武周旋尊攘激派の擡頭 ほか)
第2章 第一次征長―幕府の威令なお衰えず(長州征討令下る四国艦隊の下関襲来 ほか)
第3章 江戸と山口―二つの主戦派(攘夷見直しのチャンス江戸幕閣と一会桑政権 ほか)
第4章 第二次征長―四方面の戦闘(歴史と個人感情大島口の戦闘 ほか)

【著者情報】
野口 武彦(ノグチ タケヒコ)
1937年(昭和12年)東京に生まれる。1962年、早稲田大学文学部卒業。その後、東京大学文学部に転じ、同大学院博士課程中退。神戸大学文学部教授を経て、文芸評論家。主な著書『江戸の歴史家』(筑摩書房、1979年、サントリー学芸賞)、『「源氏物語」を江戸から読む』(講談社、1985年、芸術選奨文部大臣賞)、『江戸の兵学思想』(中央公論社、1991年、和辻哲郎文化賞)、『幕末気分』(講談社、2002年、読売文学賞)など

      細川家譜でちょうど長州戦争に関る記事をタイピングしている。理解を深くするため勉強中 ! ! 

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