宮さん宮さんお馬の前に
ヒラヒラするのは何じやいな
トコトンヤレ、トンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じや知らないか
トコトンヤレ、トンヤレナ
戊辰戦争に於ける「錦旗」の威力は、精神的な重圧として幕府軍(賊軍とはあえて書かない)に大きく作用している。岩倉具視の側近玉松操のデザインだというが、発案者は岩倉なのだろうか、うまいことを考えたものではある。
ja.wikipedia.org/wiki/錦の御旗
国立公文書館・デジタルギャラリー で「戊辰所用錦旗及軍旗真図」などを見ることができるが、ウイキペディアで紹介されている写真もここから引用されたものであろう。
山口県関係のサイトを見ると、「錦旗」は岩倉家・有栖川家に一旒づつ残されているようだ。
細川家には頼有が後小松天皇から下されたという「錦旗」が残されている。
こちらは錦織の生地を二枚中央で縫い合わせてあり、下方約1/4がスリット状に成っている。上部に金色の日輪が配されその下に二列右に天照皇大神、左に八幡大菩薩とこれも金文字で書かれている。細川家譜-頼有譜には「元中七年(明徳元年)備中二万山二軍功アリテ、翌年三月十日鹿苑院義満ヨリ備後国ノ内八ヶ所ノ地ヲ宛行ウ、マタ三五ノ桐ノ紋ヲ免サレ後小松帝ヨリ錦旗ヲ下賜サル」とある。