津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

体育の日と「細川幽齋公300年祭」「350年祭」

2010-10-11 18:46:58 | 徒然
 今日は体育の日、午後から思い立って図書館行き。ここの駐車場は熊本市の総合体育館と一緒になっているので今日は体育館がにぎわっていそうな予感、車で出かけても時間待ちが予想されるため、チャリンコで出かける。

 幽齋公について司書の方からいろいろ資料を取り出していただいた。
熊本市政50年史(昭和14年8月発行)は、明治43年4月16日から30日まで出水神社で「大祭典」が催されたと、紹介している。フイルムライブラリーで「九州日々新聞」で該当記事を検索したが、二段抜きほどの記事が掲載されていた。

 又、「幽齋公三百年祭献詠集」なる本が、細川侯爵邸内の心種会の編纂として発行されている。細川家ご一族をはじめ数百首の歌が紹介されている。(これについては後日ご紹介する)

 350年祭は公には承知しないが、当然内々の墓前祭が行われたのであろうが、「幽齋公三百五十祭出版-細川幽齋公」なる、中川齋氏の著作(全57ページ)が発行されていた。丁度50年前の話、著作権も切れているので全ページをコピーさせていただいた。

 ほかにもコピーの予定があったのだが、肝心のメモを忘れ今日は断念・・・
「今日は体育の日だ~」と意識しつつ、すこし運動になるようにチャリンコをこいで帰宅。
体育の日というのは・・・疲れる。世のお父さん達も、今日は子供達に付き合ってお疲れでしょう・・ご苦労様。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古今伝授の間」修復なる

2010-10-11 10:04:04 | 熊本
 細川幽齋公が智仁親王に古今伝授を成された建物として知られる、水前寺成趣園内の「古今伝授の間」は、幽齋公没後400年の御遠忌にあたって、修復工事がなされていたが昨日竣工式が行われた。全面解体しての大掛かりな修復が行われ、又将来へ向けての貴重な文化遺産として再生した。11月6~7日にかけては竣工を祝い「水前寺祭り」なるイベントが催される。

   ※ 熊本日々新聞のサイト「くまにちコム」の記事を御覧下さい。

 一方細川家では、「400年御遠忌」が泰勝寺・御祠堂において、細川家の関係者や幽齋公ゆかりの家臣のご子孫などが参列されて開催される。
10月17日(日)13:00~ 鶴屋百貨店東館7階ホールでは「細川幽齋公没後400年記念シンポジウム」が行われるし、県立美術館では「細川幽齋展」(~12月19日まで)が開催される。幽齋公一色の熊本である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細川家の家紋・・(3)松笠菱紋--その二

2010-10-11 08:53:30 | 歴史

 2009/8/31のブログで「細川家の家紋・・(3)松笠菱紋」を書いたのだが、当時はいろんなサイトを覗いてもその紋形を見出せないでいた。つい最近「武家家伝-細川氏」を拝見したらここに紹介されていた。(素晴らしいサイトに感謝)

 さてそのブログでは次のようにご紹介した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
綿考輯録にはこの「松笠菱紋」について次のように記している。
「既に南朝の正平十年(1355)細川頼之、西岡・山崎表発向のとき、楠正儀夜討を懸、軍不意に起り、築山市正保俊一人を連、北嵯峨より帰洛之由、此時築山と鎧を着替、松笠菱の紋付たるを直にあたへ、子孫に伝ヘ候ハゝ御申候との事、築山か家記に有之、此時の感書も今以伝来致候、此砌は築山も公方御直参なり、殊に頼之の聟なり、右保俊より六代目市正俊方、藤孝君之御家士と成、松笠菱ハ代々の家紋に仕候、頼有君も松笠菱御付被成候」
御家譜抜書に「頼有公御譜中・・家之紋松笠菱代々用之」とある。

 この築山家こそが、細川家根本家臣としては一ニを争う古い家ではないかと私は考えている。築山家を関係資料からご紹介すると次のようになる。

     保俊(市正)   足利将軍家直参、又細川頼之婿 細川家家紋松笠菱拝領
                          (綿孝輯録・巻二)

     弥十郎重俊(市正) 母細川頼之庶女・福(築山家・系図)
     弥右衛門長俊(兵庫介)
     弥右衛門俊親(兵庫頭)
     弥十郎貞俊(兵庫介) 妻沼田上野介光兼女( 同上 )
               細川藤孝君誕生消息  
                          (綿孝輯録・巻一)
     天文二年十二月朔日(藤孝公御母)着帯(一部略)義晴公より沼田上野介、
     築山弥十郎貞俊御附被成、翌年四月廿二日万吉様御誕生被成・・・・・

    1、弥十郎俊方(市正)  城州境 百石    (於豊前小倉御侍帳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「幽齋公400年御遠忌」にあたり、この築山家についても調査をしているが、今般その菩提寺の情報を得た。お寺様をお訪ねすれば判明するだろうとわくわくしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする