ガラシャ夫人の筆跡は十九通残されているという。永青文庫に四通、国会図書館に残りがあるらしいが、これはガラシャ夫人に近侍した小侍従の嫁ぎ先の平田因幡の家系である、平田家、松本家から納められたものであるとされる。(細川護貞著・魚雁集より)
その他の遺物については、ガラシャ夫人の悲劇的な生涯にあたって灰燼に帰している。
「新・熊本の歴史5-近世・下」の護貞様の「細川家の人々」によると、この平田家のご子孫のお宅からガラシャの生活の一端をうかがい知ることの出来る、貴重な品物が発見されたとされる。護貞様のご努力によるものである。
ガラシャ夫人筆跡 五通
忠興公の書簡 二十通
御食器 (食器二十点、御箸二通 十字が刻まれた漆器があるという)
打掛 一 (秀吉が小侍従に与えたとされるもの) 等々である。
この平田家は、因幡・彦三親子が幽齋公の田邊城籠城に加わっている古い家柄である。
小侍従は因幡に嫁いでいるが彦三が小侍従の子であるかどうかはよくわからない。
彦三は後に金工家に転じ名を成している。因幡の甥が松本氏を名乗り士分としての平田家を継いで明治に至っている。
綿考輯録はそれぞれの人たちを詳しく紹介している。
1、平田因幡 【田辺城籠城】 妻・忠興公室(ガラシャ)御付「小侍従」
生国佐々木の氏族也、佐々木家没落ニ付、離国後、京都に居申候、兼々忠興君
御懇意にて、是非丹後へ罷越候様、米田宗賢を以被仰下其子彦三と共に、宮津
江罷越、数日被留置、御懇意相重り、百石の御擬作被下、其上御前様江被召仕
候、小侍従と申女房あしく不被成訳にて候を、因幡妻ニ被下候、取持候様にと宗
賢妻ニ被仰付、嫁娶仕、何となく御奉公申上候 (中略)
今度宮津にても働き、直ニ駈来、篭城仕(田辺城)父子共ニ北海手の持口の内、
宮津衆各と有内成へし御利運に成、三斎様関原より御のほりのせつ、父子途中
まて罷出候へは、籠城の次第被聞召上、御感之旨被仰出、夫より福智山江御供
仕、働申候、豊前に被召連、丹後已来之忠義御感有之、因幡へ御知行三百五十
石被下、平田を松本と被改下候而、御櫓一ヶ所御預被成候 (綿考輯録・巻五)
平田彦三 【田辺城籠城】
父因幡一同ニ忠義御感之旨ニ而、於豊前御知行百石被下、御領内金銀改役被
仰付、本苗平田を名乗候様ニと被仰出候、呼野山金出候刻も、吹方御用相勤、
其後金銀吹改之義ニ付、御手判御書出拝領、且又判銀ニ用候、青印向後平田包
銀之寿印ニ仕候様ニと御直ニ被下候 八代ニ被差置、度々三斎様御腰掛させら
れ、唐物之御膳拝領仕候、*(手偏に匁)御物好にて白銀細工被遊候節、御手伝
申上、茶湯道具銅鍔等、度々差上候、寛永十二年病死 (綿考輯禄・巻五)
小侍従
明智日向守殿より秀林院様江被附置候女房にて候、太閤様御代諸国御大名奥方
伏見御城為見物被召寄候刻、秀林院様へハ御出被遊間敷由ニ而、山内と申所ニ
御立退被成候、然共不被成御出候而は叶かたき趣に付、小侍従申上候ハ、乍恐
私儀常に奉似御面候体候由承候間、御名代ニ罷出申度願申候間、高蔵主御取次
にて太閤様御前へ被召出、殊外御機嫌よく御直ニ御茶被下御小袖等拝領、其後も
右為御礼、猶又登城仕候、ヶ様之訳にて因幡果申候而も後家へ御合力米被下候
(綿考輯録・巻九)
2、彦之進(養子)
因幡甥・松本彦之進を養子婿ニ被仰付、因幡娘やゝと申、幼少より被召仕候を嫁
娶被仰付候、因幡死後御知行弐百石被下 (綿考輯録・巻五 平田因幡項)
(1)留守居組 京都郡、中津郡奉行 「青龍寺」 筑紫大膳組 二百石
(於豊前小倉御侍帳)
(2)御馬廻衆 百五十石 (肥後御入国宿割帳)
(2)御馬廻衆十二番遠坂越後守組 (別記 百五十石)
実は平田様ご子孫からご連絡を頂戴し、先祖附などを勉強しなければと思っている。
かって熊本日々新聞の夕刊で連載されていたもので、刊行が待ち望まれていたのだが遅きに失した感じもする。NHK大河で「細川三代」をという声を聞くのだが、何事につけ熊本人は動きが鈍い。幽齋公没後400年に際して諸行事が盛り上がっている中、これをきっかけにパワー全快で目的達成と行きたいものだ。
この本については、ちょっと値段が高いのが気にかかるが・・・・・
この本については、ちょっと値段が高いのが気にかかるが・・・・・
細川三代―幽斎・三斎・忠利 | |
春名 徹 | |
藤原書店 |
【本の内容】
織田信長、豊臣秀吉、そして徳川時代に至る激動の戦乱期に、抜群の政治感覚にしたがって、来るべき権力者を見定めて主君とし、遂には徳川政権において五十四万石の地位を手中にした細川家。権威と価値観が激変する約百年をしなやかに生き抜いた、細川幽斎(1534‐1610)、三斎(1563‐1646)、そして忠利(1586‐1641)の草創期三代の軌跡を描く、圧倒的な歴史絵巻。
【目次】
わが子への手紙
第1部 幽斎藤孝(足利将軍家に仕える信長の陣営に参じて)
第2部 秀吉と細川父子(奮戦する忠興—小牧長久手戦の前後秀吉の九州平定 ほか)
第3部 三斎忠興と徳川家(その前夜—ガラシャの死 父と子の関ヶ原合戦 ほか)
第4部 肥後藩主忠利(忠利、肥後領主となる 御世はじめ—家光の親政 ほか)
第5部 光尚と三斎(肥後五十四万石を継ぐ—光尚の時代 三斎忠興の死—ある時代の終焉)
赤穂浪士と桜田門外の変—その後の細川家