津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

安國寺掃苔

2010-10-22 09:50:44 | 歴史
                        荒木村重・供養塔
       http://www.m-network.com/sengoku/haka/murashige450h.html

今年の5月18日、 「熊本史談会」の会員十名ほどで安國寺を訪問、貴重な資料をいろいろ拝観させていただいた。
 安國寺の開山明巌梵徹は、明智光秀の末子(ガラシャ夫人末弟)とされる。その故であろうか、明智左馬介の子孫にあたる三宅家から、『明智系図』が納められている。(現況未公開)
他にも「喜多村系 明智系図」が残されいた。

 寺域には、細川家の有力家臣である沼田・朽木・續・溝口・町(長曽我部)・内藤氏等や切支丹として有名な加賀山氏その他多くのお墓がある。今般「幽齋公400年遠忌」に際し根本家臣のご子孫をお探しする中で、荒木家(荒木村重男善兵衛を祖とする)のお墓を発見したのだが、これについてはすでにウエブサイトで紹介されていた。(知らなかった・・)
又、蒲生秀行供養塔を始め、肥後四戦役戦死者供養碑、などがある。
これは正式な碑の名前は知らないが、天草島原の乱、小倉戦争(四境戦争)、ハーマン号沈没事故、戊辰戦争関係の戦死者の慰霊碑である。

 そしてもう一つ、神風連の挙で亡くなられた、地元高麗門連の志士を顕彰する「高麗門連招魂碑」があることも知った。
          植野常備
          平山平馬
          上野継緒
          小篠一三
          山田彦三郎
          西川正継
          大石虎雄
          小篠清四郎
          高田健次郎
          小篠源三
          井上豊三郎
          兼松郡起
          米良亀雄
          兼松繁彦    の14氏である。
 時習館教授を務め(のち奉行)た井口呈助の薫陶を受けた人々である。
特に、小篠家は四兄弟(ここには末弟の名前が無いが・・)が参加して命を落としているが、なんとも悲惨な結末である。

 細川家菩提寺・妙解寺のすぐお隣にあるこの安國寺は、細川九曜紋が寺紋だという。細川家と深い係りを持っていることがわかる。現在でも「四戦役戦死者供養」が執り行われている。
コメント
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