荒木村重・供養塔
http://www.m-network.com/sengoku/haka/murashige450h.html
今年の5月18日、 「熊本史談会」の会員十名ほどで安國寺を訪問、貴重な資料をいろいろ拝観させていただいた。
安國寺の開山明巌梵徹は、明智光秀の末子(ガラシャ夫人末弟)とされる。その故であろうか、明智左馬介の子孫にあたる三宅家から、『明智系図』が納められている。(現況未公開)
他にも「喜多村系 明智系図」が残されいた。
寺域には、細川家の有力家臣である沼田・朽木・續・溝口・町(長曽我部)・内藤氏等や切支丹として有名な加賀山氏その他多くのお墓がある。今般「幽齋公400年遠忌」に際し根本家臣のご子孫をお探しする中で、荒木家(荒木村重男善兵衛を祖とする)のお墓を発見したのだが、これについてはすでにウエブサイトで紹介されていた。(知らなかった・・)
又、蒲生秀行供養塔を始め、肥後四戦役戦死者供養碑、などがある。
これは正式な碑の名前は知らないが、天草島原の乱、小倉戦争(四境戦争)、ハーマン号沈没事故、戊辰戦争関係の戦死者の慰霊碑である。
そしてもう一つ、神風連の挙で亡くなられた、地元高麗門連の志士を顕彰する「高麗門連招魂碑」があることも知った。
植野常備
平山平馬
上野継緒
小篠一三
山田彦三郎
西川正継
大石虎雄
小篠清四郎
高田健次郎
小篠源三
井上豊三郎
兼松郡起
米良亀雄
兼松繁彦 の14氏である。
時習館教授を務め(のち奉行)た井口呈助の薫陶を受けた人々である。
特に、小篠家は四兄弟(ここには末弟の名前が無いが・・)が参加して命を落としているが、なんとも悲惨な結末である。
細川家菩提寺・妙解寺のすぐお隣にあるこの安國寺は、細川九曜紋が寺紋だという。細川家と深い係りを持っていることがわかる。現在でも「四戦役戦死者供養」が執り行われている。
http://www.m-network.com/sengoku/haka/murashige450h.html
今年の5月18日、 「熊本史談会」の会員十名ほどで安國寺を訪問、貴重な資料をいろいろ拝観させていただいた。
安國寺の開山明巌梵徹は、明智光秀の末子(ガラシャ夫人末弟)とされる。その故であろうか、明智左馬介の子孫にあたる三宅家から、『明智系図』が納められている。(現況未公開)
他にも「喜多村系 明智系図」が残されいた。
寺域には、細川家の有力家臣である沼田・朽木・續・溝口・町(長曽我部)・内藤氏等や切支丹として有名な加賀山氏その他多くのお墓がある。今般「幽齋公400年遠忌」に際し根本家臣のご子孫をお探しする中で、荒木家(荒木村重男善兵衛を祖とする)のお墓を発見したのだが、これについてはすでにウエブサイトで紹介されていた。(知らなかった・・)
又、蒲生秀行供養塔を始め、肥後四戦役戦死者供養碑、などがある。
これは正式な碑の名前は知らないが、天草島原の乱、小倉戦争(四境戦争)、ハーマン号沈没事故、戊辰戦争関係の戦死者の慰霊碑である。
そしてもう一つ、神風連の挙で亡くなられた、地元高麗門連の志士を顕彰する「高麗門連招魂碑」があることも知った。
植野常備
平山平馬
上野継緒
小篠一三
山田彦三郎
西川正継
大石虎雄
小篠清四郎
高田健次郎
小篠源三
井上豊三郎
兼松郡起
米良亀雄
兼松繁彦 の14氏である。
時習館教授を務め(のち奉行)た井口呈助の薫陶を受けた人々である。
特に、小篠家は四兄弟(ここには末弟の名前が無いが・・)が参加して命を落としているが、なんとも悲惨な結末である。
細川家菩提寺・妙解寺のすぐお隣にあるこの安國寺は、細川九曜紋が寺紋だという。細川家と深い係りを持っていることがわかる。現在でも「四戦役戦死者供養」が執り行われている。