明治43年の「幽齋公三百年祭」は細川家内輪のこととして行われているが、その前年42年には県や市も共催する「清正公三百年祭」が3月12日から50日間行われている。このとき清正公は、特旨をもって従三位に位階追贈された。それまで錦山神社と称していた加藤神社はこの時期改称された。
200万人の人出でにぎわったとされるが、悪徳商人が横行し「熊本市では飲むな、食うな、ボラれる」という悪評が立ったという。
今般の四百年祭の目玉は、なんと言っても「古今伝授の間」の全面改修であろう。
三百年祭の際は、出水神社の拝殿大修理、社殿前の鳥居建て替え、表大鳥居の装飾、成趣園(水前寺公園)の模様替え(市政50年史によると築山の富士山や海鼠橋も模様替えしたとある)、能楽堂の修理(火災消失)などが行われている。
こちらは15日間大祭典が出水神社で開催され、県物産館で「幽齋公記念展覧会」が催されている。4月29日には6,000人が見学に訪れたというし、出水神社は連日参拝者でごったがえしたそうだ。
最近水前寺成趣園の入場者が減っているという。これを機会にまた沢山の方々が訪れられることを切に願うものである。
200万人の人出でにぎわったとされるが、悪徳商人が横行し「熊本市では飲むな、食うな、ボラれる」という悪評が立ったという。
今般の四百年祭の目玉は、なんと言っても「古今伝授の間」の全面改修であろう。
三百年祭の際は、出水神社の拝殿大修理、社殿前の鳥居建て替え、表大鳥居の装飾、成趣園(水前寺公園)の模様替え(市政50年史によると築山の富士山や海鼠橋も模様替えしたとある)、能楽堂の修理(火災消失)などが行われている。
こちらは15日間大祭典が出水神社で開催され、県物産館で「幽齋公記念展覧会」が催されている。4月29日には6,000人が見学に訪れたというし、出水神社は連日参拝者でごったがえしたそうだ。
最近水前寺成趣園の入場者が減っているという。これを機会にまた沢山の方々が訪れられることを切に願うものである。