津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

自分のことは棚に上げ・・

2010-10-23 12:42:48 | 徒然
 ブログを書いているといろいろ間違いを犯し、時々ご指摘を戴くことがある。これは「赤っ恥」ではあるが脳に刷り込まれて再度ということにはならないから有難い事ではある。
数年ブログを書いていると、以前に書いたものがひょっとしたら間違っていたのではないかと不安になって、チェックを入れたりしている。こっそりはいやだから朱書きで訂正している。

 最近読んだ数冊の本のなかにも、「それはないでしょう・・」というような間違いがあった。

 細川家の一級史料を駆使して書かれたTT氏の名著には、「はじめ」の中に次のような明らかな間違いが見受けられた。
    いま、杉の巨木に守られた熊本市立田山の泰勝寺には、藤孝と忠興、ガラシア夫人
    の、簡素にして雄大な五輪塔が三基並び、側にガラシアに殉じた小笠原少齋の墓も
    ある。
 名著であるがゆえに、藤孝夫妻・忠興夫妻が「四つ御廟」とよばれるお墓が仲良く並んであることをご承知無いことを、残念に思うのである。(現地を見ておられれば間違うことはないだろう)小笠原少齋のお墓は数百メートル離れたところにある。(側かもしれないが・・)

 TH氏の忠興を主題にした著(PHP文庫)の最後の部分に、忠興の臨終の場面が描かれている。臨終を看取る人の中に、後藤又兵衛の子又一郎が登場していた。それは小説だから我慢するとしても、ご丁寧に「当時九歳」と紹介している。忠興の死は正保二年の暮である。又兵衛は大坂夏之陣(元和五月)に亡くなっている。30年の刻が流れているというのに・・・・

 数え上げるときりが無い。

 郷土史家と名乗られる某氏の明らかな間違いに対し史料を添えて質問をしたが、返事さえも返ってこない。氏の著書は訂正されることも無く、あちこちの図書館に置かれている。

 今朝ほどはMN氏から、某展覧会で求められた図録に大間違いがあるとのお電話を戴いた。学芸員が解説した文章にあったようだが、お話を伺うと明らかな間違いである。
これは訂正方を申し入れたがよかろうという話になったのだが、さてどうなるのか・・・。

  研究者はなかなか自分の間違いを認めようとしないが、謙虚であるべきだ。
私のブログは訂正で朱書きが巾を利かせている。

 汗・・朱書き部分は誤植ではないかとのご指摘がありました。
言い訳の出来ない当方のミスです・・まったくもって「自分のことは棚に上げ」になってしまいました。
コメント
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