津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「こずむ」という言葉

2010-10-29 18:47:30 | 熊本
 山本夏彦の「完本 文語文」に、久保田万太郎が使っていたという「こずむ」という浅草弁のことが書かれている。十五ほど歳が若い、ちゃきちゃきの江戸っ子である池田弥三郎もこの言葉はわからなかったという。ということは・・すでに死語と成っているわけだ。

 熊本の方言も京都あたりから伝播した言葉が、進化することなく取り残されて定着したという説がある。時折古語辞典などをひも解くと、そんな言葉に出会うことがある。

 「こずむ」が「こづむ」であれば、熊本弁に今も存在している。積み上げるという意味だから、漢字を当てると「小積む」なのではないか。
しかし浅草の言葉が熊本に定着しているとは考えにくいから、まったく違う意味なのだろう。

私の机の周りは、こづみあげた資料や読みかけの本で足の踏み場も無い有様である。
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西福寺に眠る、細川家当主の生母たち

2010-10-29 11:46:06 | 歴史
 唐人町筋から細工町通りを抜けて小沢町へと至る道筋の北側に、慶長年創立の西福寺がある。。小沢町筋は坪井川を挟んでいるとはいえ、対岸に新幹線の高架が走り様変わりを余儀なくされるのであろう。古いたたずまいが残るまちである。お寺の裏手は「板屋町」、わずか十数軒の家で構成された一区画が古い町名を今に伝えている
さてこの西福寺には、細川家当主の生母である人たちのお墓がいくつかある。

六代宣紀の側室鳥井氏映心院は七代宗孝の生母である。その他数人の子をなしているが、熊本生まれの富姫(三歳)、龍五郎(三歳)が母親とともに此処に眠っている。
     女子・倉、蔵   夭折(江戸・伝通院) 
     八三郎      夭折(   同上   )
     女子・富      夭折    
     宗孝
     女子・禰々、喜和     宗対馬守義如室
     女子・照、三千、千代  安藤対馬(大和)守信尹室
     龍五郎   家老木村半平豊持養子  夭折 
宣紀には正室が無かったことは先に書いたが、宣紀が綱利の養子となる以前から宣紀の元にあったようだ。七代宗孝の生母であり、二人の娘は大名家に嫁ぎ正室並の待遇を得ていたものと思われる。田町の屋敷に暮らし、宝暦十一年に亡くなっている。

又、十二代齊護の側室で十二代護久の生母興願院(水俣の惣庄屋深水頼経妹田鶴)、
護久の側室で十五代護成の生母慈雲院(同じく深水頼寛三女ヌイ)のお墓も此処にある。

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