山本夏彦の「完本 文語文」に、久保田万太郎が使っていたという「こずむ」という浅草弁のことが書かれている。十五ほど歳が若い、ちゃきちゃきの江戸っ子である池田弥三郎もこの言葉はわからなかったという。ということは・・すでに死語と成っているわけだ。
熊本の方言も京都あたりから伝播した言葉が、進化することなく取り残されて定着したという説がある。時折古語辞典などをひも解くと、そんな言葉に出会うことがある。
「こずむ」が「こづむ」であれば、熊本弁に今も存在している。積み上げるという意味だから、漢字を当てると「小積む」なのではないか。
しかし浅草の言葉が熊本に定着しているとは考えにくいから、まったく違う意味なのだろう。
私の机の周りは、こづみあげた資料や読みかけの本で足の踏み場も無い有様である。
熊本の方言も京都あたりから伝播した言葉が、進化することなく取り残されて定着したという説がある。時折古語辞典などをひも解くと、そんな言葉に出会うことがある。
「こずむ」が「こづむ」であれば、熊本弁に今も存在している。積み上げるという意味だから、漢字を当てると「小積む」なのではないか。
しかし浅草の言葉が熊本に定着しているとは考えにくいから、まったく違う意味なのだろう。
私の机の周りは、こづみあげた資料や読みかけの本で足の踏み場も無い有様である。