「おばけの金太」 熊本県・週間メールマガジン・気になるくまもと-33号から
熊本にはかつて人形製造で生計を立てる人たちが、新細工町や高麗門町に集中していたという。この素朴な郷土玩具「おばけの金太」もその一つであろう。
最近、蓑田勝彦先生の「江戸後期、熊本町における商品生産・流通の資料紹介」という論考(年報-熊本近世史 平成七・八年合併号)に、「(二)細工町における人形製造について」が掲載されているのを見つけた。
これは、「細工町の別当友枝良右衛門が、職人達に材料の購入の資金を貸し与えた」ことについての、詳細な資料にもとずいて検証されているものである。
このあたりは「人形町」ともよばれ、町の四割ほどが人形製造に携わっていたのだそうだ。
そんな中で日本一の「生き人形師」松本喜三郎などが現れてくるのである。
私はある方から、某所の床下に人形の木型(?)が多数残されているという話を伺ったことを思い出した。まさに「人形町」界隈の真っ只中にある。どういうものが出てくるのか・・近々調査が始まるらしい。
先の蓑田先生は、「熊本市立博物館や、熊本伝統工芸館、骨董品店などに問い合わせた」が現物は残っていないようだと記されている。
現物はないが木型(?)が残されており、復元も可能ではないのか。
いろいろな活動が活発なこの地域で、何らかの形でひとつの動きが現れれば幸いである。
いろいろな事に聞き耳を立てていると、このようなことでつながりが出来てくる。
68爺の耳はまだよく働くのだが、収納する脳みそのほうが怪しくなっているのが心配ではあるが・・。
熊本にはかつて人形製造で生計を立てる人たちが、新細工町や高麗門町に集中していたという。この素朴な郷土玩具「おばけの金太」もその一つであろう。
最近、蓑田勝彦先生の「江戸後期、熊本町における商品生産・流通の資料紹介」という論考(年報-熊本近世史 平成七・八年合併号)に、「(二)細工町における人形製造について」が掲載されているのを見つけた。
これは、「細工町の別当友枝良右衛門が、職人達に材料の購入の資金を貸し与えた」ことについての、詳細な資料にもとずいて検証されているものである。
このあたりは「人形町」ともよばれ、町の四割ほどが人形製造に携わっていたのだそうだ。
そんな中で日本一の「生き人形師」松本喜三郎などが現れてくるのである。
私はある方から、某所の床下に人形の木型(?)が多数残されているという話を伺ったことを思い出した。まさに「人形町」界隈の真っ只中にある。どういうものが出てくるのか・・近々調査が始まるらしい。
先の蓑田先生は、「熊本市立博物館や、熊本伝統工芸館、骨董品店などに問い合わせた」が現物は残っていないようだと記されている。
現物はないが木型(?)が残されており、復元も可能ではないのか。
いろいろな活動が活発なこの地域で、何らかの形でひとつの動きが現れれば幸いである。
いろいろな事に聞き耳を立てていると、このようなことでつながりが出来てくる。
68爺の耳はまだよく働くのだが、収納する脳みそのほうが怪しくなっているのが心配ではあるが・・。