2009/6/25のブログで「長元記(長曽我部元親記)」の著者・立石助兵衛のことを書いた。
立石氏については細川家侍帳に、個人のお名前がいくつか見えるが先祖附は残されていない。過日本覺寺のお上人さまからメールを頂戴し、こちらが立石家の菩提寺であるとお教えいただいた。過去帳などは火災で無くされたそうだが、史料が熊本市の「歴史文書資料室」に残されているとのことであった。
(本覺寺・・法華本妙寺末寺、清正公ノ寵妾法号本覺院月心日圓大姉ノ為ニ、慶長年中建立之、開山日眞上人也、清正侯忠廣侯二代毎歳弐百俵納之・・)
www.cam.hi-ho.ne.jp/s-uekawa
この本覺寺のお隣が、細川九曜紋を寺紋とする安国寺である。
orange.zero.jp/kkubota.bird/antaiheizan.htm
細川家の有力家臣のお墓がいくつもここにあるのだが、そのひとつが町家すなわち長曽我部氏の子孫のお墓がある。長曽我部氏の「ちょう」を「町」として「まち」氏と名乗り明治に至ったがその後複姓されている。
町家(長曽我部氏)のお墓がある安国寺のお隣の本覚寺六角堂に、「長元記」の著者・立石助兵衛のお墓があるというのには、何かしら因縁めいたものを感じてしまう。
文書の所在がはっきりしているとすっかり安心してしまい、熊本県立図書館所蔵の「上妻文庫」に所収されている「長元記」はまだコピーできていない。
そろそろ腰を上げずばなるまいと思っている。
立石氏については細川家侍帳に、個人のお名前がいくつか見えるが先祖附は残されていない。過日本覺寺のお上人さまからメールを頂戴し、こちらが立石家の菩提寺であるとお教えいただいた。過去帳などは火災で無くされたそうだが、史料が熊本市の「歴史文書資料室」に残されているとのことであった。
(本覺寺・・法華本妙寺末寺、清正公ノ寵妾法号本覺院月心日圓大姉ノ為ニ、慶長年中建立之、開山日眞上人也、清正侯忠廣侯二代毎歳弐百俵納之・・)
www.cam.hi-ho.ne.jp/s-uekawa
この本覺寺のお隣が、細川九曜紋を寺紋とする安国寺である。
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細川家の有力家臣のお墓がいくつもここにあるのだが、そのひとつが町家すなわち長曽我部氏の子孫のお墓がある。長曽我部氏の「ちょう」を「町」として「まち」氏と名乗り明治に至ったがその後複姓されている。
町家(長曽我部氏)のお墓がある安国寺のお隣の本覚寺六角堂に、「長元記」の著者・立石助兵衛のお墓があるというのには、何かしら因縁めいたものを感じてしまう。
文書の所在がはっきりしているとすっかり安心してしまい、熊本県立図書館所蔵の「上妻文庫」に所収されている「長元記」はまだコピーできていない。
そろそろ腰を上げずばなるまいと思っている。